今日は雨、明日、運動会をやろうか?止めようか?と決める時、気象庁の天気予報を見るよね。晴れならやる、雨なら中止だと理性で考えて決める。結果として雨の予報で運動会を中止したところ、結果として晴れてしまった場合に中止の結論に誰も文句は言わない。それが普通の組織であり社会ですね。
前日の夕方でも、当日の朝でも自分で空を観て風を見て肚の声を聴いて判断するのは勇気がいるよね。天風教義はその直観力、感応性能を高めるための修行ですね。
どちらが正しい、間違っているということではありません。きっと両方とも正しい。学校の校長なら上の方法で決める。天気判断が外れても誰も文句を言わない。
「気象庁の予報が雨だと言っていたのだから仕方ない。」と。
でも天風会員なら下の判断の方法を磨かないとせっかくの修行の意味が無いかも?理性の判断と、肚の声を区別しているかどうか?それが問題だ。
まあ、真面目な人ほど上の理性による思考判断になるだろうな。
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