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大掃除

昨日、仕事で5人の訪問者があったので、一昨日から昨日の午前まで居間と仕事場を大掃除をした。整理整頓ではなく段ボール箱の中にいろんなものを詰めて倉庫の部屋に置くだけなのでこれからがまた大変だ。何がどこに行ったか分からないかも?整理・整頓・掃除と事務処理は、何年経っても自己改革できないね。こういうことが得意な人とペアーを組みたかった。ただし、「どうして置きっぱなしにするの!使ったものは元に戻す!ものを散らかさない!」といつも怒られそうだから、こちらができないことに対して文句を言わない人と。そんな女性はこの世に存在しないというのは真理だな。
それにしてもどうしてそういうことが出来ないのかな?自分でも不思議だ。
10月14日は神戸発2時のフェリーに乗って帰ろうかなと思っています。今年の春からまた神戸からのフェリー航路が再開したが、同級生である町長の努力かも知れない?ちょこちょこインターネットににやけた顔がを出ている。
先日、経産省に呼ばれて行ったが、本当に人件費の無駄、経費の無駄をオンパレードだね。そういうのを止めて、民間に資金を自由に出せばもっと日本経済は良くなるのにと思ってしまう。で、その経産省の紹介でソニーが私に合いたいということで10月に面談することになった。
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余計な広告

余計な広告が勝手に入ってくるようになったので、しばらくしてブログ先を変更するかも知れません。せざるを得ないですね。その時はまたお知らせします。
私の内容に対するどこかのプロ組織(ハッカー能力を持つ組織)からの嫌がらかも?こういうことは素人では出来ない。広告をクリックしないでください。情報が盗まれる可能性があります。
と思っていたら、ブログプロバイダー会社の操作でした。一月200円の契約で広告が消えるそうです。こんなにど真ん中にどてかい広告を入れられると月200円ならと思ってしまいますね。ちょっと卑怯だよね。1万人が広告を消そうと月200円払うと、毎月二百万円入ることになる。私もそんな仕事がしてみたい。

万里一空

琴奨菊は伝達式で「大関の地位を汚さぬよう、万理一空の境地を求めて日々努力、精進いたします」と口上を述べた。
「万理一空」の言葉。「努力の先に光がある。努力と心が交わった先に大関があるとの意味です」と説明した。剣豪、宮本武蔵の著書「五輪書」を参考にしたという。

田舎の秋、太鼓祭り

私の田舎ではいつも10月15日が秋祭りです。御神輿は還暦の人間が担ぐことになっているらしい。太鼓は青壮年が担ぎ、4人または8人の子供がその上に乗って太鼓を叩きます。
http://www.youtube.com/watch?v=lqINxeAp7_8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=-jTGOxPPqpg&NR=1
その後ろをヘトヘトと還暦の力が抜けた男達に担がれた御神輿が付いていくのです。
私も子供の頃の記憶の中に勇壮な太鼓はあるけれど、そういうヘナヘナ御神輿は記憶に無い。へ~ぇ?そんなのあったんだということを今年初めて知りました。
考えてみると、今の還暦は多くの人にとってまだまだ元気な年齢だけど、ずーっと昔は還暦というのは還暦までよく長生きできたということですよね。少し前なら、あと数年であの世行きという年齢ですよね。だから還暦の人が御神輿を担ぐというのは、神様に感謝というのと同時に神様の世界に入る儀式なのかも知れませんね。神様と一緒の世界になるということかも?日本の祭りは面白いですね。
八幡神社およびその祭りは古代ユダヤの祭りから来ているという説があります。そういうのを自分の目でちょっと確かめたいという気持ちがあったけれど、どうせなら自分の氏神様の八幡山の祭りで見てみたいと思っていた。
で、私も氏神様へのご挨拶も含めて御神輿を担ぐために帰ることにしました。
10月15日のために前日の14日に島に帰ります。一生に一度しかない機会だから。
秋祭りの頃はいつも仕事が忙しく、まあ学生時代も含めて一度も帰ったことがありません。今年も無理かな~?と思っていたのですが時間が取れそうなので帰ります。
紅葉の季節は、まあ、無理ですね。
10/30はダライ・ラマの講演を聞くために大阪に行きます。そういう意味で10月は忙しい。

安定(あんじょう)

本には、「無心」、「無私」、「(霊性)直感」、「今の瞬間を生きる」、「本心煥発」、「神人冥合」とかいろいろあります。修行を通してこれらを段階的に身につけることが悟りというようなことを大抵の瞑想の本には書いています。それぞれをそれぞれの方法で身につけようと修行プログラムがあります。
それらのプログラムは正しいけれど、これらは本来一つの状態だと言うことが分かっていない人が多いかも?
一つの状態、それが安定(あんじょう)なんですよね。安定とは座ることではない。
無私でなれけば無心になれない。無心でなければ今に生きられない。無心でなければ霊性直感は得られない。無心で無ければ本心煥発に進めない。本心煥発でなければ神人冥合にはなり得ない。
修行ではここに時間があるけれど本質的にはこれらすべてが同時で一つの状態なのです。
三次元には時計時間があるけれど、心の世界である四次元は時間が無いと思えるほど時間は瞬間であり、また同時に遙かに長いようにも見える。五次元の霊的世界は人間の目から見れば過去と現在と未来が同時に存在している時間に見える、のかも?
安定とかクンバハカというのは、生死の境が無くなることでもある。霊的世界は過去・現在・未来が同時に存在しているということは、生死の世界が無いということなんです。クンバハカは聖なる態勢であり、霊的状態と言われています。だからそれらは生死を超越した状態なのです。ちなみに安定とクンバハカもまた別のものではないですね。別のものとして修行しているけれど、一つの態勢を分解しているだけです。
安定打坐とか瞑想とか坐禅というのは、緩やかな臨死体験でもあるのです。死の予行演習でもあるのです。
坐ると言うことは、今ここで死ぬと言うことなのです。そして坐ることを終了する時、再生する、生まれ変わるのです。


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