人格向上のためのスポーツと昔からよく言われますが、昔から私はそれに疑問を持っています。私の出身中学や高校でも不良はある特定のスポーツ部員だったし。
悟るための難行苦行の修行も人格を作らないと思うな。人格向上形成はまた別物だと思うな。スポーツをやろうがやるまいが人格向上する人間はするし、しない人間はしない。修行と言われるものをしても人格向上に役立てる人もいればそうでない人もいる。そうでない人の方が多いと思うな。
人格向上には自らの気づきというのが大事だと思うのだが、気づきというのは勉強しても修行しても身に付かないような気がする。気づきと知識は違う。
気づく人間は何をしても気づくし、気づかない人間は何をしても気づかない。
高校生の集団万引きなんかは気づかない人間の集団だな。スポーツはそういう気づかない人間の群れを作る。「万引きみんなでやれば怖くない。俺だけやらないと仲間外れが怖い。」とね。ここ20年ぐらいの日本柔道なんかもオリンピックの試合を見ていてコーチも選手も下品だもんな。そんなふうに見ていたら元オリンピック選手であるコーチのレイプ事件が起きたな。番長と呼ばれていた元プロ野球選手も、「こいつは野球を止めたらダメになるな」と見ていたら、案の定、引退して全身に入れ墨をいれたとか、覚醒剤をやったとか噂になっているな。
スポーツは人格を作らないという証明は多いな。すなわち、人格向上とスポーツとは関係が無いのです。「健全な肉体に健全な精神が宿る」というのは大間違いですね。(実際、元の言葉を日本人が間違って翻訳したらしいけど。)
クリック⇒⇒本庄第一高校サッカー部理念=サッカー技術の向上のみでなく、高校生としての人間形成にも重点をとあります。クリック⇒⇒これで日本人は韓国批判できなくなるな。裏で日本政府も大慌てなんじゃないかな?日本高校生による外国での集団窃盗だもんな。ましてや問題の韓国で。
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