「「自分なりに一生懸命頑張ってきた」というのは世界に通用しない。それは自分なりでしかない。二生懸命、三生懸命やらないと金メダルは取れない。結果は道理の通りになる。韓国は子供に金メダルを取らせようとすると家族でアメリカに移住する。家族全員で働いて、その金で子供に練習させる。本気度が違うよ。こっちが8時間練習していたら向こうは14時間練習しているよ。」と仕事上の知り合いが言っていた。
「日本は豊かさの中で、ちやほやされてハングリー精神が無いから。でも、その方が良い社会じゃないかと思うけど。」と私は答えた。
オリンピック選手とかプロ・スポーツの選手とかは知らないけれど、普通の人との会話で、「私なりに一生懸命やっているのよ!」と言う人で端から見て一生懸命やっている人はいないね。
私に言わせれば、途中で死んでも良いという覚悟でやりましたか?過労死しても良い覚悟でやり続けましたか?と言いたいですね。自分を守っている限り一生懸命とは言えないね。「私」という単語が出てくる限り一生懸命じゃないね。
もちろん人から、「私は私の出来る精一杯のことをしている」と言われたら、
「そうか~、偉いね~、頑張っているんだな。」と答えますが。
本当に一生懸命やっている人は、一生懸命やっているという観念も持たない。
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