「レイラインハンター」という本を出版している出版社に電話した。そこには私の資料は送っていない。出来たら会って資料を見て貰いたいと思ったのだが、ほぼ、けんもほろろでしたね。当然ですね。すぐに出版できる原稿が出来ていないと誰も見る気にならないのは当然です。それにその原稿は、どういう読者を対象に、どういうコンセプトでという概念が出来ていなければというのは当然な話です。資料だけでは出版社から見たら相手にならない。
まあ、私としては本が書ける人に資料として売れればと内心思っていたのですが、そんなこと口に出来るはずもなく、ただの訳の分からない毎日入り込んでくる売り込みの一人にしかならなかったわけです。
向こうから見たら当然です。向こうが100%正しい。
で、100年後の教科書に載せようと思うと、馬鹿でも学者が論文を書いて学会発表しないといけない訳ですね。普通の人間が本を書いて、いくらそれが売れても世間の常識にはならないわけです。司馬遼太郎の「坂の上の雲」がいくら読まれても国民の1割の人も読まないわけだし、歴史にもならない。それは教科書には載らないから。
教科書に載っていることのみをいつまでも正しいと信じている馬鹿が多いのだから、教科書に載らないと国民は変わらないと言うことですね。教科書に載っていないから、テレビが言っていないからと信じない人が如何に多いか私はいつも愕然としている。
ビートルズが世間一般に受け入れられたのは音楽の教科書に載ったからですね。当時の教師や大人はビートルズを不良として否定していた。
まあ、学者とテレビという愚かさの権化のような存在が認めないと流れは変わらないわけですね。私の最も嫌いな権威というのが必要なんですね。
仮にミステリー専門の雑誌に載っても何にもならないことに気づいた。
さあ、どうしたもんでしょうね~?どこかの考古学の学者に売り込もうかな~?まったくお金にならないけれど。彼らも貧乏人だろうから。まあ、120円の缶コーヒーぐらいはおごってくれるかな?
日本人の歴史観(学校教育による日本人自らの嫌日観、自己否定観)を変えるという私の夢、人から見ると夢想、妄想につきあってくれる出版社なんて無いよな~。
レイラインも、こんなレイラインがあるというだけでは、ほとんどの人は、「ふーん」、で終わりですね。私も二ヶ月前まではそうだったのだから。そのレイラインの意味を解き明かさないと意味がない。
結界だとか、幽体離脱とか、鬼門の霊的防御とか、地場のエネルギーとか、シャーマンによるテレパシー交信とか、そんな言葉は百年経っても教科書に載るはずもない訳だから、太陽と星の観測からレイラインの意味を解かないと学説にはならない。あと数学的な相互の関連性ですね。まあ、その点はそこそこ解いているので問題はないですが。
本当は幽体離脱を考慮に入れないとナスカの地上絵とかレイラインというのは意味が分からないと私は思っているのだが、そんなことは100年経っても、教科書やマスメディアでは受け入れられない。
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