200年頃から渡来してきた古代ユダヤ人のグループで東北地方へ入ってきたグループの大ボスが岩木山の麓に陣取り、「キリストの墓」と言われる墓の北側の山から南は田子町の範囲を古代ユダヤ教キリスト派グループが住み、普通名詞のキリスト(悟って神と一体となったという意味)となった人物が子ボスとして一地域のリーダーとなっていた。そして亡くなってキリストの墓と呼ばれる現在の墓として残っている。とすると「殿様の墓」だから守るように伝承されていたことも合点が行く。
一戸~九戸という地名は、グループの集会所であり、政(まつりごと)が行われた場所であり、その周りに集落ができた。後の門前町と同じですね。その政の場所の選定は岩木山から見てそれぞれ正確な角度を持っている。それは太陽(暦)の管理であり、霊的な繋がりであり、結界でもあるのです。
西日本で活躍したユダヤ人グループは商売で大儲けして朝廷を支えた。秦という文字で残っている。
機織り(はたおり)も渡来ユダヤ人が持ってきた技術とも言われている。八幡(やはた)も当然そうです。八幡はたくさんの秦ということですね。八は、たくさんという意味だから。八甲田は、たくさんの神が住む土地になるわけです。
200年以前からも古代ユダヤ人は少数で先導役で入ってきている。それが猿田彦グループというのは以前書きました。
とりあえず、流れがすっきりしてきましたね~!すべて想像的仮説ですが。人はそれを妄想と呼ぶかも知れないけれど。
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