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キリストの墓 円形墳丘墓

キリストの墓は円形墳丘墓になっている。インターネット辞書によるとこの形の墓は弥生時代後期から出来ているという。すなわち西暦200年から300年ということになる。当然、キリストではないのは明らかだけど、古代ユダヤ人と言われている秦氏が入り始めてきたときと重なる。ユダヤ教や原始キリスト教(景教)ですね。「キリストの墓」は景教のリーダーの墓の可能性が高くなる。西暦150年頃、中国で大乗仏教が出来たと言われているが、原始仏教がキリスト教の影響を受けて出来たのが大乗仏教だという説がある。そうすると200年から300年にかけて原始キリスト教が日本に入って来ていても不思議ではない。というか、西から移動してきた民族が日本にも流れてくるのは流れとしては自然だ。それとともに今の神社の元になる太陽や星の観測拠点としての何かが出来たと考えるのは自然だな。
400年頃書かれた竹内文書にキリストの墓が書かれていても辻褄が合うことになる。「キリストの墓」でなく、「キリスト教の偉い人の墓」という意味になることになる。かなり合理的な結論になりつつあるな。それにキリストという名前も固有名詞でなく、誰もがキリストになれる道を説いたのがイエス・キリストだという説もある。仏教的に言えば、悟って「仏」になることですね。だからキリストの教えにより悟ってキリストになった人の墓と解釈も出来る。カソリックは、一人一人が悟ってキリストになるという教えを異端として弾圧したのは事実です。一人一人がキリストになる道を説けば教会の権威は必要なくなるから弾圧したのです。そのような弾圧から、ユダヤ教徒とともに逃げてきた人たちで、キリスト教も元々はユダヤ教キリスト派だったのかも知れません。ユダヤ教のいろんなグループごとに渡来してきて、その集団ごとに村が出来たとしても不思議ではないですね。
西(ローマ)に向かったユダヤ教キリスト派が、100年かけてだんだんユダヤ教から独立してキリスト教になったと書いているのもある。
自ら神と繋がるのを教えたのがイエス・キリスト、教会を通してのみキリストや神と繋がることが出来ると説いたのがカソリックですね。教会が住民を支配するためには自分で悟る道は教えられない。
で、結論としては、青森の「キリストの墓」は、イエス・キリストの墓でなく、「キリストになった人の墓」と仮説を立てることが出来るということですね。分かりやすい~!時代は西暦250年から300年の間ということです~!
すべては空想による仮説です。
http://ameblo.jp/acchikocchikoko/






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