先日、訳した英語の本にこんな話しが載っていました。手短に要約すると、
『私が10歳の頃、レオ・ゴールドという人は父の20年以上の親しいトランプ仲間であり、父のトランプ・パートナー(あるトランプ・ゲームはパートナーと組みになるらしい)であった。それから何10年と経ち、父は歳を取り病院で亡くなった。父を埋葬する墓地は父の住まいから何十キロと離れた所に用意されていた。
父の棺を墓地に埋葬している時に気がついた。隣の墓石にレオ・ゴールドの名前があった。「まさか?あのレオ・ゴールドさん?」と後で調べたら父のトランプ親友のレオ・ゴールドは半年前に亡くなっていて墓地の名前は父が埋葬された所と同じだった。どことも知れない遠く離れた墓地の真ん中でトランプ親友同士が隣同士になるなんて?それは人生の不思議?それとも死の不思議?』
こんなのもありました・・・・・、
『母は三人姉妹の真ん中だった。母はガンになりそれは既に末期だった。母の姉と妹と私は交代で病院で母の看病をしていた。私は休息のために家に帰り休んでいたが、朝の11時頃、なぜか胸騒ぎがして、急いで病院に駆けつけた。
まず待合室に立ち寄ったら、そこにいた母の姉が言いました、「あなたを待っていたのよ~!病院があなたに知らせたのね?」、
私は答えました、「いえ、病院からは連絡は何も受け取っていません。母から連絡を貰いました」と。「えっ?それって、どういうこと?」
それから母の病室に行ったら、母の傍に付いていた母の妹が、「あなたに連絡しようと部屋から出ようとしたら、姉(私の母)が、娘(私)にはもう伝えてあるから電話しなくても大丈夫よ、と11時頃言っていたのよ・・・!」
そして母はみんなの見守る中、息を引き取った。』
まあ、身内の死については、胸騒ぎがするとか、夢を見るとか、ほとんどの人が経験しているのではないでしょうか?多くの人が経験しているのに現代の日本の科学ではそういう現象は偶然と言われ、非科学的と否定されています。
まあ、夢とか胸騒ぎというのは任意に再現できないので科学にならないわけですが、科学とは別に真理学というのもあって良いと思いますね。宗教も本来、真理学なんだと思うのだけれど、組織になってしまうと組織欲、名誉欲が生まれて真理から離れてしまう。
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