マクロ・レンズが今日も仕事で大活躍。ズームが付いていないので画面を合わせるにはカメラの方の位置を変えないといけない。今までコンパクト・デジカメはズームがそれなりに付いていたので画面はズームを調整していたが、カメラ位置を変えて画面を合わせて撮影というのも新鮮な文化の逆戻りという感じですかね。
「非合理に徹すると最後は究極の合理に到達する。目の前の合理を選び続けると最後は不合理という結論になる。」と最近気付いた。特に子育て、教育、料理はこの典型ですね。そして職人の修行なんて非合理の典型ですね。しかし極めると合理の極地の作品が出来上がる。スーパーで一円でも安く売るために、そして一円でも儲けるためにとても合理的な弁当が並んでいる。家族の夕食を作るのが面倒だから弁当を買って帰る。作るより弁当を買う方が安いし。とても合理的です。しかしそれを繰り返していると子供がまともに育たない。最近よく言われるようになった「食育」というものが壊れる。合理を選ぶと不合理の結論になるということです。
スーパーで売られている弁当を見ると「人間という名の家畜の餌」に見える。人間は見た目と化学添加物で味をごまかせば何でも食べる家畜?工場の流れ作業で生産された家畜の餌と同じですね。
これは私のベッド・サイドにあるランプをマクロ・レンズで撮影したものです。このランプは非合理な作品ですよね~、ほんと。
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