20~30年前からの子供の前だっこ方式は、ダメだとずーっと言っているのですが、なぜなら人間、大人も子供も幼児も後ろ向きに進むことに恐怖を感じるからと。今日、その典型を見ました。若い父親が2歳児ぐらいの女の子を自転車の前籠に後ろ向きに座らせて走っていました。幼児は思いっきり泣いていました。「落ちるから危ないよ!」と父親は子供をなだめていました。後ろから別の自転車に乗って走っている母親は笑っていました。父親や母親は、いえ今の大人は、子供がなぜ泣いているのか理由が判らないんですよね。
理由を考える想像力が無いんですね。
子供と親は向かい合って顔を見ることで子供は安心すると子供の医者や子育ての先生に言われているんですよね。それは家の中のソファーに座っている時での話しで、歩く時や自転車や車に乗る時は話しが全然違います。「子供を前だっこして親子の顔を見合っていると、こんなに子供の脳波が落ち着くんですよ。」なんて教わるんですよね、きっと。それを歩いている時にも適用してしまう。学者は歩いている時の子供の脳波は測定していない。私から見ると、そんなの子供の顔を見れば判るだろう!と言いたい。
今の母親に赤ん坊の顔を見る力が無いので、赤ん坊が嫌がっているのに、医者から言われた基準のミルクの量を決められた時間間隔で無理矢理飲ませる姿もありますね。
子供が大きくなって少年少女や大人になっての心の不安定さの原点はそういうところにもあることになるんですよね。
しかし、「私は子供がこんなふうになるようには育てていない!」と親は未来のどこかで自己正当化することになる。そういうのを見ていると悲しくなってしまう。
「私は子供でこんなに苦労した!」という女性が時々いますが、大間違いですね。原因は子供が小さい時に自分(主に母親)が作っていたのです。天風会に何十年いても、すべては自分が蒔いた種が実っているだけ、という真理を理解できない人が多いかも?それが分かれば、今生のこの人生、合格ですね。
子供は大人になって子供を産むと自分が育てられたようにその子供を育てる。赤ん坊の時なんかの記憶は無いだろうと思うのだけれど、自分が赤ん坊の時に抱かれていたように自分の赤ん坊を抱くんですよね。不思議ですね。
私が抱いて泣き止まなかった赤ん坊は今迄のところ一人もいないと思うな。
それはきっと、私が赤ん坊の時におばあさんに抱かれたように抱いているのだと思うな。私のおばあさんも孫を決して泣かさないおばあさんとして村で有名だったらしい。ものが分からない人は、「赤ん坊の抱き方なんて、誰が抱いても同じよ!」と言うのだろうけど。
子育てに関しては、数千年、一万年の蓄積で出来てきた日本の良い伝統を先生と呼ばれる人達がアメリカの論文のコピーをして壊してきたのが戦後ですね。
情緒不安定に育てられた子供は、同じように未来に情緒不安定になるように、その子供を育てることになるんですね。そのマイナスの連鎖で育った場合に、その連鎖をカットするためには観察力と幅広い勉強が必要ですね。特に、顔を見る力、声を聞く力ですね。
勉強とは、学校や病院で先生と呼ばれる先生から教わったことを、まず、すべて捨てることからですね。学んで捨てる、これ、基本です。
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