それにしても小豆島に訳の分からない新人類(それとも宇宙人)が移民(移住)してきている。海外を放浪して日本中自分の目的に合った場所を捜して最後に小豆島に辿りいたという話はよく聞く。よほど小豆島は居心地が良いのだろう。
なぜだろう?住民が年寄りばかりで、年寄りは何も分からないから彼らに対して拒否反応を示さないからだろうか?在若者は変わった人たちの価値観に接して外の景色を見るように受け入れているのだろうか?
確かに小豆島は外の文化を好奇心で持ち込む性質は昔から持っている。東京オリンピックの後は、小豆島の集落という集落で毎夜毎夜バレーボールをしていた。県の無形文化財である村歌舞伎も昔誰かが京都で見てきた歌舞伎をまねて始めたのが今では島の文化財になっている。祭りの御神輿も人が担ぐものとしては日本一だという説もある。瀬戸内海の海運の要所として物や文化が常に通っていくので新しい物や人に対する拒否反応が無く好奇心で受け入れてしまう要素はあるのだろう。そういう流通の要ゆえに豊かな島なのでハングリー精神が無い。故に大物は生まれない。
訳の分からない若者を快く受け入れ、なじんでしまう地域というものは少ないと思う。我ながら小豆島の体質にビックリする。
仏教(八十八カ所島遍路)も神道(八幡神社)も盛んだし、そしてキリスト教もかつては小豆島を日本のメッカとして発展させようとしていた。キリスト教御法度令が出て、キリスト教徒になった人たちは島原に移っていった。どこかから逃げてきた人を受け入れる性質も持っている。古くは平家の落人もたくさん受け入れている。小豆島の山の中に外からは人が入りにくい小さな集落がいくつかある。島の人たちがそういう落人を追っ手が分からない場所にかくまったのだろう。実は私の先祖も平家の落人だと推測している。小豆島は何でも受け入れる性質がある。
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