禅宗では前世、来世の存在は認めていません。スピリチュアイズムやいくつかの宗教では当然肯定しています。でも、実はそれらは真理を右から見るか左から見るかの違いで同じだということは以前書きました。そして最近、一神教と多神教も実は同じものなんだと分かりました。そうなんです、一は多であり、多は一なんです。同じものの表現の違いなんです。やっとそういうことが分かりました。でもそういうことは神人瞑合した教祖は分かっていても跡を継いだ弟子が思考で考えるので、教祖の言葉を教条的に解釈して宗教戦争が生まれてしまう。
教祖が真理をなんとか一般の人に分かるように言葉を使ったものを、その言葉を真理そのものだと解釈してしまう。「ひとつは多数であり、多数はひとつである」なんて普通の頭の思考能力では理解できないから。
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