そうですね~、人間の幸せは自分の居場所があることかも知れませんね。
その当たり前のことに気がつかない人が多いかも知れませんね。だから日常の不平不満が出る。存在が当たり前になっているんですね。当たり前が幸せ。
肉体はそこに存在しても心の居場所が無いということはままあると思います。
とりあえずの誤魔化しの心はそこにあっても魂の落ち着きが無い場合もありますね。たとえば家族を裏で裏切っていると心の居場所が無くなると思いますね。
仲良くを装っているだけ。装うことは自分の居場所にいないことですね。
仕事でもそうですね。自分の居場所を持っている人は幸せですね。
居場所とは無条件に報償を超えて心穏やかな安心の楽しさを感じる所ですね。
今の多くの母親は子供に居場所を与えていないんだと思いますね。子供に居場所を与えないから子供が成長した時に心の病になる。
宗教なんかもそうかも知れませんね。
私は一昨年の田舎の秋祭りに御神輿担ぎに参加した時にそれを感じました。
そして仲間みんなの笑顔が素晴らしかった。神様の懐で遊ぶということはこんなことかと感じましたね。でも例えばキリスト教徒の人がそこに参加しても、きっとそれを感じないんだろうと思いますね。自分の産土(うぶすな)神社だからこそ仲間同士で魂が喜びを感じるのだと思いますね。
学校の勉強よりそういうことの方が大事だと思うな。
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