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生きること、

自分が死んだらあの世で自分の両親や祖父母、祖祖父母などのご先祖様に会うことになる。その時に、「負けずに頑張って生きたよ!」、「正しく生きました」、
「人のために生きられました」と胸を張って会えるかどうかですね。
それとも、「私は自分の欲を満足させるために生きました」、「自分の感情のままに生きました。それが何が悪いの?」と言いますか?
あなたはどう報告できますか?産んで育ててくれた両親やご先祖様からあの世で勘当されるようなことをしていませんか?というのか、それとも、「本当はね、おまえの親もご先祖達も同じようなものだから、血は争えないな。よしよし」とあの世で言われるかも知れないし。「私達、すなわちお前のご先祖の血を浄化してくれてありがとう」と言われるかも知れないし。それはあなたの生き方次第。
しかし、嘘や自己弁護は通用しません。上からすべて見られているのですから。
そして何より自分の魂と向き合うことになります。
「あっ、しまった!誘惑に負けないように産まれる前に設定していた誘惑にまた負けてしまった!」、「しまった~!あれは私の魂の進化のチャンスだったんだ。せっかくのチャンスを自分から捨ててしまったんだ~!」とかね。
そして、「次に生まれても、また同じテーマのやり直しか~!次はもっと厳しい誘惑や試練を設定して負けないように挑戦しよう」とね。そしてまた負けるとその次により厳しい人生になっていく?のかも???
もちろん負けるか、問題をクリアするかは自分の問題。親の問題でもなければ、神様の問題でもない。
今までの一万年、二万年はそういうことの繰り返しだったのだけれど、次は違うという説もありますね。それがアセンションというやつですね。さあ~、どうなんでしょうか?死んでみないと分からないな。







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