「俺の人生、幸せは無かったな。」と思えば、辛かったことばかりを思い出す。
子供の頃病弱だったこと、そのためにスポーツは何も出来なかったこと、うまくいかなかった恋ばかり、大学入試失敗、成功していない仕事などなど。
「俺の人生、幸せだな。」と思えば、海や山を友達と遊び回った子供の頃、それなりにいろんなことをした大学時代、ギリシャ一人放浪、モンゴルの大草原を馬に乗って走り回ったこと、その雄大な景色、サラリーマン時代に5,6回はアメリカに一人出張して会社の金をふんだんに使ったこと、自分の技術を見せるためにサンフランシスコ連続3回、ミュンヘン1回、世界最大級の展示会に出せて高い評価を受けたこと、また世界最高レベルの環境(金があったということではない)で育ったこと、などなどを思い出す。
すなわち、人生の結果として幸せだったとか不幸だったという答えが出るのでなく、人は先に出した答えに従って、その条件に合った記憶イメージが甦って来るんだな。すなわち、条件(理由)に従って答えが出るのでなく、答えに従って条件(それに合った記憶や解釈)が出てくるんだな。幸せと不幸せを同時に両方は思い出さない。ということに最近気が付いた。何はなくとも、自分は幸せだと思えばいいということで、幸せ、不幸せは思考癖の中にあるということですね。
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