小学生でも性同一障害が認められたとのニュースがありました。この障害は心と身体との関係とか心とは何か、肉体とは何かということの本質を考える上でとても本質的な課題を提供しているのです。誰でもが、男の子の肉体を持って生まれてきたので男の子として育てられたことによって、「私は男の子」という思考と性格と感情が生まれると考えてしまいます。男の子の肉体を持っているから男の子で、女の子の肉体を持っているから女の子というのが社会通念ですね。
「身体に心が宿る」という考え方を導入しないと性同一障害は理解できないことになります。生まれたときに既に男の子の心とか女の子の心が大抵はそれと一致した肉体に宿って生まれてくると言うことですよね。それは生まれる前から心が存在しているという考えが導かれることになる。ただ性同一障害とか同性愛とかは、無痛分娩とか帝王切開とか自然でない生まれ方をすることでその確率が高くなるという説があります。心というものは遺伝子の働きなのか、それてとも肉体に宿る独立した気体的存在(気とも呼ぶ)なのかを考えることで人間とは何か、私とは何かを問うテーマの材料になりますね。大抵の人は、「へぇ~?そんなこともあるんだ」ぐらいで終わらしてしまうけれど人間とは何かを追求する上で本質的な材料ですね。遺伝子は肉体の設計図と呼ばれています。それでは「私は男の子」、「私は女の子」という心の設計図はどこにあるのでしょうか?それも遺伝子の中にそういうのも組み込まれているのでしょうか?その遺伝子のスイッチの入れ違いで性同一障害が生まれるのでしょうか?
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