日本の歴史学者の80%は共産党員または支持者だという説がある。そのために日本人をダメにしようという自虐史観が教科書もマスメディアも支配しているという。戦後、右翼的な学者は首になった流れから今もその影響を受けている。
自分の教授の学説を覆す論文をその下の助教授、講師は出せない。教授に嫌われたら自分の将来の教授の席も職も得られないから。その流れが今に続いている。
遣隋使、遣唐使というのは小学校の歴史で学んでいる。日本が中国へ高度な文化へ学びに行ったと。今読んでいる本によると、何と!日本から学びに行った以上の人数の中国人が当時日本に学びに来ていたというのだ!遣日使だね。学びの相互交流だったというのだ!そしてむしろ日本に学びに来る方が多かったと。これは驚きだな。そんなことは教科書に書かれていない。
文化度の低い日本が文化の高い中国に学びに行ったというふうに教科書に書かれているし教わった。事実は違うというのだ!
参考:「日本の歴史 本当は何がすごいのか」田中英道著 扶桑社文庫
仮にそうだとしてもそれは教科書的(歴史学者的)に言えば当時の中国人が低次の日本にわざわざ高次の中国文化を教えに来ていたと説明づけるな。
遣隋使、遣唐使の半分は海を渡る最中に海の藻屑に消えたと言う。すなわち半分(上記の本では3/4)の人は渡航に失敗して死んでいたのだ。
それだけのリスクを冒して行ったり来たりしていた訳だな。
人は学ぶために命はかけられるけど、教えるために命をかけられるかな~?
半島や大陸から渡ってきた渡来人というのは日本に結構います。しかし日本人がより高度な文化・文明・生活を求めて日本から中国や半島に集団移住した、または集団亡命した話しは聞きません。キリスト教御法度令が出ても日本(関西)から日本(島原、天草)に移住しただけです。多少はマニラに行ったという話しは読んだことあるが。でもキリシタン大名が他の国に亡命したというような話しは無いよね。それって変だよね。他の国ならそういう状況では集団亡命するよね。今でもアメリカに行く日本人はままいますが、最後は日本に帰りたがります。そこが中国人や韓国人と違うところですね。なぜでしょう?どうも日本には日本人の知らない何かがあるのかも?
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