日常の些細なことに、「有り難いな~!」としみじみと思うことって大事だと思うけど、左翼の人ってそういう心と無縁のような気がするな。
何でも否定的思考をする人から、この「有り難い!」っていう言葉を聞いたことが無いし、そういう心を持っているように感じたことが無い。
崇拝するっていう心や思考は、この「有り難いな~!」という心とは違う気がするんだよね。「有り難いな~!」という心は自分の心の中から、人から教わってではなく、自然に出てくるもので、虚しく空洞になっている心の穴にコンクリートで埋めるように流し込まれる知識を信じるのが崇拝だよね、きっと。
「有り難いな~!」という心はいろんなことに感じる心だけど、崇拝は一つだけでそれ以外は否定だよね。否定しないまでも無視だよね。
「有り難いな~!」という心が中庸なのかな~?
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