公民館の文化祭で土曜の英語サークルも日曜の天風会も2週間連続でお休みだった。その間、時間のかかるデータ取り(仕事)にかかることができた。仕事をするというのは楽でいいが、頭の中の同じ部分だけを使うというのは刺激が無い。仕事も分けが分からない現象に四苦八苦しているが、脳みその仕事で使う部分と違う部分を四苦八苦させることがどうもボケ防止に良いような気がする。頭の中でまったく異質な難しいことに複数チャレンジすることは刺激だ。英語サークルも26年以上運営しているが、何のためにというような理屈を考えずに続けている。それにしても英語力が進歩しないのはなぜだろう?先日、モンゴルの英語の専門家である女性へ送ったメールの英語も動詞の使い方で完璧に勘違いの英語を書いて送ってしまった。”まあ、いいや”と訂正した文章は送っていない。このいい加減さは歳のせいか?英語サークルのリーディングも予習していると本が読めたつもりになるけれど、みんなで厳密に訳していくと訳が全く違う結果になることが多い。約2時間の予習だけで頭がクタクタになってそれから訳と司会に1時間半集中すると結構疲れる。でもそれは頭の活性化のためとても良いかも知れない。毎週同じリズムでやるのが大事だな。2週間に一度ではリズムにならないし、行くのにちょっとけだるくなる。仕事と英語と天風会、この三つの全く異質なことを一週間の中で時間を決めてやるのが良いんだな。
ベトナム家庭料理店で分けて貰った蓮茶を毎日自分でお湯を沸かして急須に入れて飲んでいる。なぜ私がそんな面倒くさいことを毎日出来るのだろう?日本茶でもペットボトルを買っているのに。それは美味しく入れるのが難しいからだな。難しいから、「こんちくしょう!」と思うから毎日出来る。仕事も難しいから厭きない。
・・・・何でも単純に見えるものほど難しい・・・・。
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