先週の滝瞑想を経験した人と経験していない人の間には計り知れない距離が生まれたと思う。一心と無心の明確な違いの認識、そして地の声、天の声の聴き方や、「心耳を澄まして空(くう)の声を聞く」や「闇夜の鳴かぬカラスの声を聞けば」ということをお題目だけでなく、「なるほどこういうふうに聴くんだ。そうするとなるほどこういうふうに聞こえるんだ」ということがよく分かったようです。
本の知識や毎日ただ坐るだけでこういうことを経験していなければ、どんな立派な先生でも本質が分からない。経験すれば、「あ~なるほど!」とただ分かる。理屈ではなく、ただ分かる。ただ分かるというのが大事なんです。ただ、滝の側でただ座って滝の音を聞いてもそういう深いレベルの音を聴けるようになるには本来時間がかかる。私が5年かかって得た方法論をたった2時間でみんな身につけた。こればっかしはそういう経験のない天風会員と話しても言葉が通じない。空の声、天の声って本当に聞けるもんなんだと分かってもらえたようだ。ひたすら本を読んでも、偉いとされる先生の話をいくら聞いてもそういうことは分からない。部屋で10年坐ってもおそらく分からない。天風先生がカリアッパ師の指示のもと、滝の側で毎日瞑想したのには訳があったということですね。ただ滝は単純ではない。いろんな意味で滝は怖いということもよく知っておかないといけない。
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