同級生のある女性が、「リハビリのためにスイミングやジムに通うようになって身体を動かすことが少しずつ楽しくなってきて、内気だった性格が積極的になってきた。」と言っていました。確かに、身体を動かさないで積極の心を持つというのは無理ですね。家に中にジーッといて積極の心や判断は生まれない。なんかそんな簡単なことを始めて納得したような気がした。積極について書かれている本をいくら読んでも部屋の中にいる限り積極の人間にはなれない。
「小人、閉居して不善を為す」という言葉があるけれど、不善とは悪いことをするということでなく、不平・不満・批判などのマイナス(天風教義的には消極)の心になることだと読んだ事がある。
別の同級生で、言葉づかいが歳と共に品が無くなってきている人がいる。元々品のある言葉づかいではなかったが、その分、女っぽくなくて話しやすかった面はあったけれど、でもこの夏、彼女の生い立ちを電話で多少聞くことになって、経済的には多少恵まれていたのかも知れないけれど、母親からの罵詈雑言を子供の時から受けて、彼女の人格を否定しい続ける母親の元で育ったらしい。そんなこと全然知らなかった。
で、上に書いた子(家族の愛の中で育った子)と下に書いた子(母親からの言葉の虐待で育った子)はお互い嫌い合っていてお互い口も聞きたくない間柄らしい。母親に愛されないで育った子と家族みんなから愛されて育った子は友達にはなれないんだろうな?と思うな。ちなみになぜか私は両方と友達になっている。頭の良い子とも悪い子とも自然に友達になれる。頭の良い悪いで心の底でも区別していないからな。普通は心のどこかで区別しているよね。
PR