厚生ノート1の続き、
「賢き人は、他人の美点を見、
愚かなる者は、他人の欠点を見る。
賢き人は、巧をゆずり、
愚かなる心は、巧を奪う。
愚かなる人は、恩をうり、
賢き人は、恩を感ず、
とげなきバラなく、忍耐なき成功はない。
愚かなる人は他人の失敗をわらい、
賢き人は、他人の失敗に学ぶ。
賢き人は、忍び、
愚かなる人は怒る。
苦労なしに、安楽は求められない、
人を責めるより、己を責めよ。」
これ、ヤッパリ荘子だと思うな。高二で読んでいたとは、自分で驚きだ。
次は私の言葉だと思うが、
「人間、まじめに生きようとすれば苦しい。
しかし、その苦しみを越えて、
はじめて、真の幸福が来るのではなかろうか?」
ちなみに昨日の文章の中で、「幸いが分かる」という言葉がある。
そうなんだんよね~?普通、「幸いが来る」とか「幸いが得られる」と考えるよね。でも、幸いはやって来るものでなく、「分かる」もんなんだな。
49年目の理解だな。
高二、高三を思い出して、夜、寝る時に二日間涙した。同級生の女の子(今は4人の孫を持つおばあちゃん)とほとんどオン・タイムでメールを交換した。亭主が読んでも問題の無い文章しか書けないが、涙がポロポロ流れながらメール交換した。向こうはそんなこと知らない。高校生のガキのくだらん低次元意識の世界と言えばそうなんです。客観的にはそういうことです。
しかし体重も減った。努力せずに62.5から今朝60.8kgになった。意識が高二に戻ることで、食欲が無く、ストレスで体重が減ったということですね。
高校時代はブレーク・スルーの道の無い暗闇の囲いの中にいたが、そのことについては今もブレーク・スルーの道は無いな。
高二の時の記憶って、黒主体の白黒なんですよね。色が無い。
私の今生における魂の原点は、中二で過去世をフラッシュバックみたいに見たことですね。そして高二で臨・臨死体験で見た映像ですね。この二つに矛盾は無い。今、メール交換している女性はその魂の世界とは関係が無い。この現象界だけの出来事だと思うけど、どうなんだろう?それにしても私が書いたノートが今頃出てくるとは、まるで神の仕業みたいだな?持っていた人は、「これで持ち主に返せて、ホッとした。」と言っていた。私が持っていたら、卒業と同時に間違いなく捨てていた。
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