昔の家には大抵は縁側という中と外の中間域があった。家の外で立ち話をする短時間でもなく、靴を脱いで上がるほどのことも無く縁側で靴を履いたままお茶が飲める空間だった。今はそういう中間(緩衝地帯)が存在しない。
人の心にもそういう緩衝地帯が存在しないので余裕が無い。多くの人には、好きか嫌いか、正しいか間違っているかしか思考がない。
生活の中に中間域を作ると、何事も相似形なので心にも中間域が出来て余裕が出るかも知れないな。日本の新しい家屋に昔のような縁側を作るべきかも?
子供も縁側で遊べるしね。内の延長で外の空気の中という特殊な空間だな。
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