私は以前から身内、特に親はベストのタイミングで亡くなると経験法則として言っているのですが、母もまたそうでした。私にとっては後5日か6日遅ければ言うことなかったのですが喪主となる兄にとってはこの日しか無かったのです。兄は内装工事管理監督の仕事をしているのですが、今5か所の現場管理をしていて18日に偶然5か所とも同時に日曜休みになって急遽帰れることになって(普通そういうことは有り得ないと言っていた)帰省したらその日に母は血圧が下がり始め、身内に連絡してみんなが母の元に集まって叔母から私に連絡があって私は帰れない旨を伝えました。(生きてる間の最後の別れは15日に済ませているので親の死に目に会わなくて構わないことを伝えた。)それから約20分後に息を引き取ったと電話が入りました。母はその会話を聞いていたのかも知れませんね。また1週間遅ければ兄の仕事場が7か所になってさらに身動き取れない忙しさになるところでした。母は額付きの遺影写真を自ら用意していました。予め自分で指定していた旅立ちの着物は大島紬だったそうです。男にはそんなこと見ても分からないけどね。
すべてが終わって兄と家で二人切りになった時に、家や畑、山の名義は全部、兄のものにして良いからと伝えた。それは小学生の時に母親から言われていたことを私の口から追確認しただけだけど。勿論それらはいくら有っても二束三文にもならないものだから私名義のものがあると面倒くさいだけだし。
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