「大阪北部地震で、大阪府高槻市立寿栄(じゅえい)小学校のプールのブロック塀が倒壊し、下敷きになって登校中の小学4年の女児(9)が死亡した事故について、校長が約2年4カ月前、定期点検とは別に市教育委員会にブロック塀の安全点検を依頼し、市教委が現地調査の結果、このブロック塀の安全性に問題がないとの報告をしていたことが21日、関係者への取材で分かった。」とニュースにあるが、東北大震災の時の大川小学校の教師たちと同じ気質だな。校長を含めて教師たちには物事を判断する能力の無さと共に責任が無いということを言っている訳ですね。平和ボケと同根だな。危険認識能力が無い。今、小学校の教師の半分以上が女性じゃないかな?女性には空間時間認識能力が無い。男も引きずられて危機認識能力は落ちる。女性の多い組織にはこういう結果は起きやすい。まあ、昔は別だが、大抵は能力のある人間は教師になろうとはしない。俗に言う”でもしか先生”だよね。「こいつ頭が切れるやつだな~!」と思える教師に会ったことが無い。教師になった私の同年代でもね。そういう意味では、学ぶ側としての私の世代はまだ良い教師たちから教わった幸運な時代だったと思う。なぜなら戦後の流れとして、優秀な良い人材が教師という職業に流れ込んでいたから。香川県は日教組の先生も少なかったようだし。戦後も今も日教組の組合員の先生に教わった子供は不運だ。高槻市はどうなんだろう?
ネットを調べるとこんあのがありました。やはりねえ~?
「私の担任女性教師は私の進路指導を拒んだ。高槻方式に従い、地元の高槻高校に行けと言うのだ。私は、ともかく日教組に支配された高槻市から逃げたかったので隣の高校への内申書を書いてくれと頼んだが、書こうとしなかった。記憶が曖昧なのだが、最終的に内申書は出なかったと思う。私は以前の中学に疑似内申書を依頼した(この部分は間違っているかも知れない)。」
「私はまだ幸運だった。わずか2学期で日教組に支配された高槻の教育現場から逃げることができたからだ。一方で高槻に生まれ育ち、こうした環境で教育を受けた人の多くが才能を潰され人生を無駄にしたと考える。日教組の「運動」なるものは、ここまで狂っていたのだ。」
高槻市の学校も教育委員会もこれからもひたすら責任逃れに徹するのだろう。大川小学校の生き残り教師の裁判での証言拒否と同じ気質。
塀の施工業者も在日系かヤクザ系かだろうな?大抵は同じだが。自分や家族が何されるか分からないから、怖くて業者名を公表出来ない。地元の人間は分かっているはず。純粋な日本の企業なら代表者が出て来て、「予算が少なくて止むを得なかったが、結果的にこんなことになって申し訳ない。」と既に謝っているはずだな。
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