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高野山と空海

「平安時代 [編集]弘仁7年(816年)、高野山を賜った空海は、翌年から弟子達に命じて伽藍の建立に取りかかったが、交通不便な山中のことで、工事ははかどらなかった。空海の在世中に完成した堂宇はごくわずかであり、無論、当時の建築物は現存していない。空海の他界後、弟子であり実の甥でもあった真然が約20年をかけて根本大塔などの伽藍を整備した。その後、京都の東寺との確執もあり、正暦5年(994年)には落雷による火災のため、ほとんどの建物を失い、僧はみな山を下りるという、衰亡の時期を迎えた。
荒廃した高野山は、長和5年(1016年)頃から、祈親上人定誉(きしんしょうにんじょうよ)によって再興された。治安3年(1023年)には藤原道長が参詣。平安末期には白河上皇、鳥羽上皇が相次いで参詣するなど、高野山は現世の浄土としての信仰を集めて栄え、寺領も増加した。源平の騒乱期には、高野山で出家する貴族や武士が目立つようになった。彼らは高野山に草庵を建てて住み、仏道に励んだ。」
とウィキペディア辞書にある。何でも衰退の時期があるんですね。何事も、100年単位でものを考えないといけないですね。どの宗教も教祖が亡くなると一時大きく衰退したり混乱、分裂したりする。そして消えるか、再興する人が現れるかで、宗教自体の運命が変わるのでしょう。天風会は創始者(教祖とは呼べない)が亡くなって衰退の時期に入っているのでしょう。
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