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古代天文学

神社の配置を見ていると地上での測量と同時に太陽と星を使った天文方位という方法も使っていたと思いますね。日本列島に住んでいる場合には常に目で見える山があるので天文学は普通には必要ありません。
ところが船で中国やさらに南に行く人にとって天文方位という知識は不可欠です。それと共に必要なのが、天気を見る力と占いの能力ですね。中国へ行って帰って来られる確率は50%ぐらいとどこかで読んだ記憶があります。遣隋使、遣唐使も半分は海の藻屑と消えていたらしい。そうならないために占いはとても重要だったのです。
古代において、対馬、壱岐、隠岐は占いが発達していたようです。朝廷にも、たくさんの占い師がこれらの地域から採用されていたとのこと。特に壱岐からが。
対馬、壱岐、隠岐、五島列島に住んでいた古代の人は船で中国、朝鮮へと自由に行っていました。風に乗れば中国まで三日三晩で行けるとのこと。それは大阪へも同じ日数ですね。五島列島の人は大阪へ行くのも、中国へ行くのも同じ距離だったのです。物理的距離で見るのと、移動に必要な時間距離で見るのとずいぶん違います。
方言というのは不思議なもので、三重県伊勢地方の海岸沿いから和歌山、瀬戸内海沿岸、五島列島ととても似ているのです。同じ言語を話していた人が移動しながら海沿いに住み着いていたのです。
日本の弥生、古墳時代において、海士(海人)族が一大勢力を持っていたようですが、それに渡来人である秦氏が加わってコラボレーションがあったのではないかというのが私の仮説です。海士族の航海術と海洋商業貿易と軍事力、それと渡来人である秦氏の大陸の知識、絹などの織物技術、建築技術、測量技術などとの協力関係があったのではないかと。そして段々、日本列島の中に入って行った。政治に野心が無かった秦氏は産業技術で莫大な利益を稼ぎながら資金と知恵で朝廷に協力して日本の中にとけ込んで行った。それが今の神社体系ですね。海士族は、国内と国外(朝鮮半島)の戦争に負け、消えていった。






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