今日夜の7時過ぎにT駅構内で目の見えない女性が白い杖を持って、生まれて半年ぐらいの男の子を前に抱いて、道に迷っていた。歩いて来た駅員が助けるかと思いきや、近くを通り過ぎただけで助けようとしなかった。
で、彼女に近づいて、「どこに行くの?」と訊ねた。
「4番線」と答えたので、彼女の肘を軽く持って、「こっち」と連れて行った。
プラットホームに降りる階段の所まで来たら彼女は、「電車がまだ来ていない。」と言った。耳が敏感に電車の音を聞き分けられるのだろう。
そして小さな子供を寒い風に当たらせないように気を遣ったのだろう。
私は、「うん、電車はまだ来ていないよ。ここを降りると4番線だから」と言って別れた。私は8番線に向かった。
目が見えないのに子供を産み育てることは相当な覚悟を持たないと出来ないことだよね。目の見えない者同士が結婚しているかも知れない。それとも何らかの理由で一人で育てているのだろうか?どちらにしてもそういう家族が安全に生き、子育てが出来る社会や国であって欲しいな。
「偉いね」とか「頑張っているね」とか、「頑張ってね」という言葉をかけるのは失礼になるから、何も言わなかった。あういう人が一番偉いね。
あの子供も学歴や社会的ステータスではなくて人間として偉くなるだろう。
彼女が電車に乗るまで助けるべきだったのかも知れないが、私は困っていたら助けるけど、必要限度のことしかしない。さっと助けてさっと消える。彼女に運があればまた別な人が彼女を助けるだろう。まあ、助けが無くても大丈夫だろうけど。別れてからしばらくして涙が止まらなくなった。
私は駅で目の見えない人を見つけると少し距離を置いて後ろからしばらく付いていく。困ったら助けようと思って、でも困っていなければそのまま通り過ぎて行くことにしている。下手な親切(親切過剰)は親切にならないから。
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