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無題

このようにみんな見えてしまうのです。隠せないのです。死ななくても隠せない。
こういうことは本当のことです。でも信じる必要はありません。
単なる知識で知ってもあまり意味がないことですね。別な言い方をすると、「信じる必要はありません。ただ知識として知っているだけで良いです」と。死んですべてが消えるなら、今、それを信じようが信じまいが同じ事。信じることも、信じないことも消える。しかしもし信じていなくて、死んでから自分が存在していることを知ったらパニックに陥ってしまう。「えっ、何?これ?私はどうすれば良いの?」となるかも?






私も中二の時に突然見てしまったのです。
高二の時に死の淵に立つ経験をしてから、そういうことに余計に敏感になっていると思いますね。臨死体験をした人はそういうのが見えてくる人がままいるようです。
死ななくても生きたまま魂が離れるのが幽体離脱ですね。悟れば大抵は出来るようになりますが、そんなこと出来る必要はありません。癖で幽体離脱する人もいます。
ある先生は、自分の海外の道場の視察にいちいち行くのは大変なので幽体離脱して各道場の修行風景を見てきて、肉体に魂を戻してから電話で練習内容を指示すると言っていました。
夕食の懇親会の時に、「先生は身体は大きいはずなのにセミナーからの帰りには見つけるのが難しかったです。目立ちませんでした。」と尋ねました。
「必要の無い時は、自分の気を消しています。」とのことでした。
本物はそうなんですね。普段はただのおっさんに見える。家ではただのでくの坊?
自分の気を自在に消せないとダメなんですね。ちなみに天風先生は気を消せていましたね。自分の気を消せるから、狂犬病の犬に気付かれないで犬が通り過ぎて行った。そういう逸話からその意味を読み取らないといけないのですが、そういうところまで理解している先生はいるのだろうか?
要するにですね、人を裏切ってはいけない、人を傷つけてはいけない、人は助けないといけない、というのはですね、こういうことだからですね。すべて自分に戻ってくる。
こういうのが仮に見えてもね、相手がそれを受け入れる心の準備(心のレベルが上がらないと)ができないと口に出来ないですね。「何をバカなことを!」とか「マイナスの観念要素を与えないで!」とか思われたり言われたりするだけ。知る必要が出来たときには自然に知る縁が生まれる。そのように魂によって導かれるものですね。

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