真理というのは日常生活の中でどこかで染み出てくるものだろうな?と思うな。
ただの染みだから大抵は、「何バカなこと言ってんの?」とか「そんなこと在るわけないじゃない!」と片付けられるんだな。特に物理学なんてそんなものだな。
天風教義もそうだな。真理は天風先生の講演録の中にポツリポツリと散りばめられているけど、ほとんどそこを掘り下げて問題にする先生はいないな。
前にも書いたことがあるけど、「見えないものが見えない人からどう思われようがどうでもいい、見えないものが見える人にどう思われるかが大事」だと。
天風教義も病が治るとか業績向上するとか見える部分やテクニックや結果を大事にするな。もちろん最初はそれで良いのだけれど、10年、20年経つと見えない部分を重要視しないとな。宇宙も8割は見えないダーク・マターで出来ているらしいし、氷山もそうだし、何でもそうなのかな?見えない部分に意識が行くようになると庶民や大衆という立場から上がるのかな?
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