真理の言葉はそれを会得している人が話すのと知識で話すのとはまったく同じ言葉でも受け取り手(聞き手)の理解は全然違う。何故だろう?不思議だな。
昨日の箴言の時間に、「動中静」の話が出ていたけど、
「動中静ってどういうことですか?」とある人に食事会の帰りに質問された。
「歩きながら一言二言で説明できません。」と答えた。
スポーツ選手の中のプロ中のプロはみんな動中静を会得している人ですね。王さん、イチロー、内村航平はそれを会得していますね。歌舞伎役者でも超一流の人は会得しているようですね。
安定打坐の時間に、力の誦句を何回もみんなで唱えることをする先生がいますが、昨日もそうでした。私は個人的にはそれは好きでないし、賛同もできない。
いつも私は唱えないで、7~80人が唱える大声を滝の音を聴くように今迄は聴いていました。昨日は大勢が大きな声でそれを唱えている騒々しさの中で無心の心境になる挑戦をしてみることにしました。出来ましたね。まあまあの時間の長さで無心が維持出来ましたね。
一昨日、英語サークルに30ぐらいの女性の見学者がやって来た。
「中国の方ですか?」と聞いた。
「訛っていますか?」、
「ええ」、
「今までそう言われたことは一度もありません。日本生まれの日本育ちです。」、
「そうですか?」
「母はミャンマー人です。」
「ミャンマーは今は政治的にいろいろありますが、いい国ですね。」と答えた。
それから英語がスタートして話が途切れたけど、「ミャンマー人の血が流れていることに誇りを持ってくださいね。子供が生まれたらミャンマーの歴史を勉強してその誇りを伝えて行ってください。」と言いたかったけど途中で帰ってしまった。
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