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安定打坐

安定打坐を教えている夢で目が覚めた。目が覚めて、その内容に自分でビックリ!私自身、今まで考えてもいなかった言葉を私が夢の中で発していた。天啓なのだろうか?次回の勉強会でお話ししましょう。その夢の中で、私が話しをするのを邪魔する本流派の人がいた。ハハハハハ。



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無心

前にも書いたことがありますが、アフリカでは、「考えることは頭の病気」と言われている地域があります。アフリカのサバンナで狩りをしている時に頭で何かを考えているとスキができる訳です。そうするとライオンが襲ってきている事に気付くのが遅れて殺されるし、直感が働かない。サバンナでは常に神経を研ぎ澄ましていないといけない。それはすなわち常に無心でいることですね。
もう6,7年前になるか?モンゴルでモンゴル800年祭というのがありました。そこでモンゴル軍の騎馬戦を再現をしていたのですが、私が観客席の一番前に座っていたら、突然私の前を左から猛スピードで騎馬が右方向に走り去ったのです。目の前2mぐらいでしたか?左から騎馬が走ってきていることにまったく気がつかなかった。「あっ、これが戦争だったら私は頭を切り落とされていた!」と。正直、ショックでした。まわりがちょっとざわざわしていると騎馬が走ってきている音が聞こえない。頭で何かを考えていると音が聞こえないということです。
高校野球でも千本ノックというのがあります。頭で思考しないで球に身体が反応できるようになるための訓練ですね。頭で判断して動いていたら球の動きに間に合わない。サッカーでも、特にゴールキーパーはそうらしいですね。PKでも相手がボールを蹴って動いては間に合わない。
まあ、学者は別にして、プロというのは頭で思考しないで対応する能力を身に付けている人と定義が出来るかも知れませんね。そう言えば、学者のプロとか、プロの学者という表現はありませんね。頭を使って何かをする人はプロではないのです。将棋のプロは思考を越えた思考なのでしょうか?
「あ~だ、こ~だ」と頭で考えているのは、人間のアマチュアということですね。

現象と悟り

最近、誦句集を読んでいて、その内容の受け取り方が以前と違うんですよね~。言葉で表現できないのですが、あえて言えば、理屈の世界からイメージの世界になったということでしょうか?
「なるほど、そういうことか?」、「そうだ、そうだ!」の理屈の感覚、頭の感覚から、無言の感覚ということでしょうか?脳味噌が捉えるというより細胞がそこに入っていくという感覚でしょうか?
キリストは奇跡をいろいろ起こしています。私の知る限りでは釈迦は奇跡を起こしていません。おそらく釈迦は、あれだけ瞑想して悟れば難病の人を治すとか簡単に出来たはずなんですよね。でも能力については何も語っていません。
能力に拘れば行者になってしまう。行者は悟れないという話しがあります。
すべては縁起によって起こるので、人それぞれに起きる運命は意味があるので、釈迦は余計な手出しはしなかったということなのかも知れませんね。
チベット仏教なんかでも、おそらく人を見えない力で治療する僧はいると思うんですけど、それは修行の初期か中間レベルの僧ではないでしょうか?おそらく、ダライ・ラマはそんなことしない。ただダライ・ラマの傍にいるだけで病気が治るということはあるかも知れませんが。
それは、「作為無くして自然を行ずる」の極めですね。私なんか、まだまだ作為をするもんな~。





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