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無念無想

無念無想に瞬時になるコツは以前から掴んでいるのだが、それで即なると、
「無念無想になって何なの?それがどうした?」という感じになる。
一心、無心、本心煥発、無念無想という順番にならないといけない気がするな。即なると、おそらく気が上半身に上がったまま無念無想になるので意味が無いのかもしれないな。
きちんと臍下丹田に気を落としてする必要があるんだと思うな。
人にその無念無想になる方法を教えてもピンとこないみたいなんだな~?意味が分からない、イメージ出来ないということなんだろうけど。無心が自在にできるようになっていないと無理なのかも知れない。
そこはまだ分からないが。
即なる方法は最も簡単だけど、上級編だな。無心や無念無想になる前の心の状態というのも大切だな。それが内省検討とか観念要素の更改とか普段の心の持ち方とか、いろいろ心の前段階が成立していないといけないな。
いろんなことをあうだ、こうだと悩んだりマイナス思考をしていると本来、クンバハカだってならないからね。クンバハカは、「肛門を締め上げました、臍下丹田に気を込めました、肩の力を抜きました」ではないのだから。思考していたり、何かの感情を持っていると肩の力は抜けないもんね。




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不思議?

今日の日曜行修会である人から、「自分が建物の中にいる時は外は大雨になって、外に出ると雨が止むことが続けてあったという不思議なことがありました」と。「霊性心が上がるとそういうのは当たり前になりますよ」と私は答えました。
「村長さんのモンゴルの話しは聞いていますが、最近、何か新しい体験はありますか?」と聞かれたのでいくつか手短に話しました。すると私の肩が凝ってしまいました。「自慢話はするな!」という天からのお指図ですね。
今日、帯津先生の講演会の帰り、電車に乗っていると大雨になってきました。
今日は自転車をスーパーの前に停めたのですが、普段その場所には置かない雨が降っても余り濡れない場所に置いておきました。
「今、外は大雨でも自転車のハンドルを握ったら雨は止むんじゃないかな?」と一緒に帰っている仲間に言いました。駅に着くと雨は少し小降りにはなってきましたがまだ雨はそれなりに降っていました。
で、自転車に乗る頃は雨は傘を差さなくても良い程度に小降りになりました。
そして傘を差さないで自転車に乗って帰ってきました。
まあ、何度も同じこと書いていますが、いつもいつもそんなもんですね。
何となくの直感のままに動くのが良いんですね。
「あ~だ、こ~だ」と、しない理由、行動しない理屈で動かないでいると魂の声が聞こえてきませんね。魂の声に従うのが人生の学びなんです。そのためには、素直と無心が大事ですね。
大抵の人の、する、しないは、我欲による”する”、恐怖心による”しない”ですよね。
我欲によるものはしない。恐怖心を感じることはやってみる、行ってみるというのが大事ですね。
自分の安全を守ろうとすると自分の魂を守れないし、心が進化しない。
(「村長さん、何、訳の分からないこと言ってんの?」と思われる言葉ですね。何年も経って、「あの時は、村長さんの言っている意味が分からなかったけれど、最近、分かるようになりました。」という言葉を聞くことがままありますね。)

呼吸操練も22年やってきて、やっと細胞感覚で分かってきた面がありますね。健康で若い時には肺の感覚はきっと分からないですね。続けないと分からないけど、続けるだけでも分からないと思うな。何事も同じですね。
帯津先生も健康で活き活きのためには、歩く姿勢が大事と言っていましたね。
天風会員は他の普通の人に比べれば姿勢が良いですね。それでも、私から見ると姿勢が出来ている人はほとんどいませんね。姿勢が大事だと勉強した知識を説いている本人が姿勢が出来ていないことがままありますね。
天風会を辞めると大抵は姿勢がガタガタっと崩れていきますね。しかし本人は自分ではそれが何も分からない。まあ、普通の人が見てもそれは分からない。天風会を続けるためには組織とは無縁でいることが良策ですね。
そう言えば今日の帯津さんの講演は満員だったけど、若い人は非常に少なかったな。どうしてだろう?帯津先生のことを知らないのだろうか?いろんな学びの機会や縁を逃がしたら勿体ないのに。

姿勢

二週間ほど前に、武蔵浦和駅武蔵野線の反対側のプラットホームに一人の中年の男が立っていた。その立っている姿勢を見て驚いた!
私が”宙の風”勉強会で伝えた姿勢、立ち方とソックリだった。顔も正面を見て少し微笑んでいた。ただ指の形が少し違っていた。彼は親指と人差し指で丸を作っていた。ヨガの瞑想でよくする形ですね。それ以外は同じだった。
どこかで誰かが私が掴んだ方法と同じものを会得して教えているのかも知れない。どこの誰だろう?どこかの新興宗教団体なのだろうか?それとも、どこかのヨガのグループなのだろうか?線路を挟んだ反対側でなければ、「その姿勢をどこで学んだのですか?」と聞いてみたかった。
その姿勢については、勉強会でしか教えられないですね、残念ながら。やはり天風会で教える方法と思考の基本形を習慣化していないと。基本形を習慣化していて始めて次のステップに入れるから。次元の高い方法を形だけ開示しても役に立たない。

夏期修練会

夏期修練会は定規ですね。だから内容を一切変えてはいけないのです。
一年に一回その定規で自分の変化を計るのです。だから定規が毎年変わったら、基準が無くなって自分の変化を計れなくなる。
毎回同じ内容だから夏期修練会に参加しても面白くないという人もいます。
それは面白いものを人から与えられることを求めるだけで、自分で自分を見つめる力の無い人ですね。夏期修練会以外の勉強会は年々進化して良いのです。夏期修練会は、自分の「命」と「いのち」を見つめる問題ですからね。
私も淡々と今年で20回の参加になったのかな?20回、同じことをしているが、今年も呼吸操練で新しい感覚的発見があった。統一体操はまったく意味が分からんね。もちろん天風会が説明する言葉は知っていますよ。それは誰でも分かるように小学生向けの説明だからね。そういう説明の言葉には本当の深い意味は無いね。本当の難しい意味は隠されている。



一期一会

2001年から参加している香里の夏期修練会は13回目になった。
呼吸操練とかいろいろが東京よりもゆっくりしているので、細胞感覚でいろいろ掴みやすい。今回も二日目の朝の呼吸操練で身体の中の気の充実感を今まで以上に味わうことが出来た。三日目の朝はそれほどは感じなかったけど。
香里の夏期修練会では毎年、細胞感覚で何かを掴むことが出来ている。だから飽きない。何事も一期一会ですね。東京は動きが早いので細胞が気やヴリルを味わう前に次の動作に入ってしまう。味わうということと動作するということは違うのに。






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