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認識と結果

杉山会長(当時)が、「人間の潜在意識は、言葉の語尾の違いを認識しない。失敗したくないは、失敗したいと同じ。なぜなら脳は失敗のイメージを描くのでそのイメージ通りになる。例えば、池にゴルフ・ボールを打っちゃいけないと思う時、池をイメージしているからその池にボールが飛んで行く。潜在意識を敵にしたら人生勝てない。」と言っていました。
インターネットに次のような文章がありました。
『脳は主語を認識できず、相手に言ったことも自分のことだと認識する。
「脳は主語を認識できないらしい。他人を悪く言うと自分が傷つくことがあるのは脳が自分が言われたものと認識してしまうから。だからスポーツで相手チームにミスれって念じるのも自分に言っているのと同じことになるから成功している選手はそういうことをしないんだと」』と。
すなわち「私、あの人、嫌い!」と口で言うと、潜在意識は、「私は私が嫌い!」と言っているということですね。心の中で想っても、きっと同じですね。
これらを会得しただけで、人生、大合格!ですね。
私がいろんな人を見てきて、親を恨んでいる人は大抵、運が付かないですね。確かにそういう人でビジネスで成功している人も中には確かにいます。でも、幸せな生活とか尊敬される人格ではないですね。
普通、幸せに成功している人は親孝行で親に対する感謝の念が深いですね。
もちろん感謝しろ!と言われて、はい!と感謝できる人はいない。
忘れろ!と言われて、「分かりました」と忘れることの出来る人はいない。
だから真理を学ばないといけないが、師について教わらないと個々の具体的な意識の改革は出来ない。なぜなら人は誰でも自分は正しいと思っているから自分では自分を飛び越えた解釈が出来ないから。


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パラドックス

坐禅も目的を持って坐ってはいけないという話しがありますね。天風教義は目的を持って行ってはいけない。目的を持つと効果が出ない。
病気を治そうと思って天風会に入って来る人がいます。会社を立て直したくて入って来る人もいます。心を強くしたくて入って来る人がいます。
誰でも目的があるから入って来る訳ですね。私もそうでした。目的があるから続ける力になるし、成長する原因になる。
ところが目的を持って坐る(安定打坐とか坐禅)とその目的が雑念となって効果を持たらさない。自分を放して初めて病気も治るし、運も良くなる。
あーしたい、こーしたい、あーなりたい、こーなりたい、という意識を放さないと、あーならないし、こーならない。自分を放さないと本当の自分になれない。
パラドックスですね。
坐ること自体が目的にならないと自分が放せない、すなわち病が治らない。
会得できない人、成長出来ない人は、自分を放せない人なんですね。
目的を早く達しようと、基礎をやっていないまま高度なテクニックに走ると遠回りになりますね。基本が大事。基本をマスターしてその上にひとつのテクニックを付け加えるという段階を何年もかけてやらないと。
臍下丹田に気を落とすことが出来ないまま眉間呼吸をやってものぼせて逆効果の場合もありますね。山田先生の教えは基礎が出来ている人には本質ですが、基礎が出来ていない人には単なるテクニックになるので本質から少しずれる可能性が出てくることを心配しますね。山田先生の弟子(勝手にそう思っている)としては基礎の出来ている人にきちんと伝えたいですね。学びは人から人へですね。



クンバハカ新々発見!

若い人にちょこちょこっと姿勢や呼吸法を教えると、あっという間に身に付ける。大したもんだ。中高年に教えると、「今日は、いい話しが聞けた~!」と言うけど何も変わらない。
ここ一週間ぐらいいろいろ試していたクンバハカの新しい方法、新々クンバハカ法を昼の食事時間に食事仲間教えた。あっという間に姿勢が変わったし、身体の力が抜け、気が臍下丹田に落ちた。教えた私が見てビックリ!
新クンバハカ法は2年前から教えているが、新々法はそれより簡単だな。
段々簡単になる。しかし初心者には教えられない。だからここに公開できない。
基本を身に付けていない人がやっても混乱するだけだから。段階的成長が必要ですね。天風会が教える基本を最低3~5年は継続して実践して貰いたいものです。多くの人が、掘っても掘っても石炭しか出てこないと辞めていく。石炭を叩いて割ればその中にダイヤモンドがあるのに。石炭もダイヤも素材(元素)は同じですね。何度も書きますが天風会が教える基本形が出来ていないとダメですね。「ふ~ん、何、それ?村長さんて変なことを言う人!」で終わってしまう。
「ホームランの打ち方?飛んで来たボールをバーンを打ち返せば良いんだよ。」で、ホームランが打てれば良いんだけど?
「クンバハカ?肩の力を抜いて、臍下丹田に力を込めて、肛門を締め上げるのだよ」で済めば良いんだけど?
小学一年生に野球を教える時は、プラスチックのボールにプラスチックのバットで、「ほら!飛んでくるボールをバットをこう持って振るんだよ」だけですね。そして、「当たった!当たった!凄い!凄い!君は将来はプロ野球の選手だね!」と褒める。天風会の教えもそれと同じレベル?
でも褒めて育てないと本番に弱くなる。多くの日本の選手がオリンピックなどの大舞台で実力を発揮できないのは褒めて育てられていないからですね。
オリンピックの柔道の試合で、戦っている選手へのコーチの大声でのアドバイス?叱咤激励?は聞くに耐えない低レベルですね。だから柔道の質の低下、選手のモラルの低下が起きるんでしょうね。使われている言葉のレベルが実力のレベル、人格のレベルになる。話しがそれた。

自然

何でも”自然に”というのは難しいね。意識すると自然でなくなるから。
自然な自分と言っても自分を意識すると、もう自然の自分で無くなるな。
養動法は自然動揺と言われます。ヨットが波に揺れるようにと。
でも大抵の人はくるくる回転して意識回転ですね。回転運動になっている。
で、今日、気がついた。立ったまま、ウトウト寝てしまう時に前後に身体が揺れますね。そのリズムが自然のリズムなんだな。ウトッ、ウトッ、とする動きをお腹の回転運動に変換すれば良いんだと思うな。
まあ、私は心臓の鼓動の整数倍と言っているのですが、熟達しないと感覚的に掴みづらいですね。ウトッ、ウトッ、というのも心臓とリズムが連動していると思いますよ。



言葉は思考を制限するもの

一般的に言って、言葉を覚えれば覚えるほど言葉の意味の制限を受けて感性が鈍くなるんだろうな。だから子供は言葉を覚える度に魂の記憶を失っていく。
悟りは理屈から得られるものではない。悟ったことを一生懸命に言葉で表現したものが誦句であり、「げ」(漢字探すの面倒なのでひらがなで表示)なんですね。辛うじて表現したものであって悟りそのものではない。だから言葉(誦句集)を覚えることは大事だが悟りそのものではない。
だから理屈を語れば語るほど悟りからは遠ざかる。
瞑想とは言葉を捨てること。そこに言葉に制限されない自由がある。
う~ん、悟りやね~!誰も褒めてくれないから自画自賛!



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