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クンバハカ新々発見?

またまた新しいクンバハカの方法を見つけた。どんどん簡単になる。
いろいろ試行錯誤して進歩しているのだと思うが簡単になっていく。
初心者に簡単を教えてもきっと理解できないのではないだろうか?
簡単を会得するには前提条件を会得していないといけないんだと思うな。
5年ぐらいは天風会が教える方法でキュッ、キュッ、キュッとやって欲しい。
それにしても人間の心と身体とは不思議なものだ。
心と身体は霊魂の働きの道具だと知識では知っていても本当にそう感じている人は少ないと思うな。心のストレスが肉体の病になるということを知っていても、今の心が肉体にどう影響しているかを感じ取れる人は少ない。大抵は病になってから、「ストレスが原因でこうなったのかな?」と思う程度ですね。肉体と心の因果関係をオンタイムで感じ取れない。
クンバハカが出来るようになることは、肉体と心の相関をオンタイムで分かることになることでもあると思うな。心がリラックスして無心が自由に取れるようになっていないとクンバハカにはならないと思うな。心がいつも、あうだこうだ、誰がどうしたこうした、と心を遣っているとクンバハカにはなれないな。
簡単なクンバハカを会得するには、そういう心身の精妙な感覚を会得しておく必要があると思うな。


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安定打坐2

昨日(8/24)、私が編集した安定打坐自習用CDを日曜行修会でかけたが、どうも私の中で不完全燃焼が残っている。設置されている音響機器のCDプレーヤーの使い方が分からなく戸惑っていたので打坐導入の段階でみんなの意識が集中出来ないでいた。適切な音量調節も分からなかった。そういう準備って大切なんだけどな。操作をよく知っている人が休みだったということで突然私に回ってきた。試行錯誤の雑音を出すわけにはいかないしね。
CDを聞く順番として1を聴いて,2を聴くというように作っている。その次に3ですね。でも3はまだ渡していなかった。
17日に1の半分をかけたと言う。1の終わりまで聞かないまま昨日24日に2をかけたのでみんなの意識の感覚が中途半端になった気がする。
ちなみに古~い会員からそういうCDをかけたことに後で批判的な意見があったと聞いた。古~い会員にとっては山田先生流に対する否定なのか、新しいことが目障りなのか、既に自分では分からない領域なので嫉妬心から批判的になっているのかは分からないけど。
でも、全員から褒められるようなことからは私は逃げるな。みんなから褒められると、「やばいな。俺の程度がまだ低いんだな」と思ってしまうな。
何事も新しい本物は古い人からある程度批判されることで正しいと証明される。
ある古い人の姿勢を見ていると、かつて教わったことを継続的に健気に一生懸命しているのが分かる。その姿勢がすべてで、それが正しいと信念しているように見受けられる。でもその先があるのに、その先を教えて貰っていないから、それがすべてだと思っているらしいのを見ると寂しい気はするね。そして教わっていないその先の話はその人にとって邪道に見えてしまうんだよね。でも教わったことを素直に一生懸命実行しているのは人として立派です。

ちなみに十数人で聴く音と百人で聴く音は変えないといけないな。CDの中のブザーの音と鐘の音は、わざとうるさいほど大きくしているのだけれど、大勢で聴く時はそれもなめらかにした方が良いかもな?風鈴の音もかすかに聞こえる程度に弱くしている部分があるのだけれど、「これぐらいの弱さがちょうど良いな」と思いながら坐っていたら、「風鈴の音をもっと大きくしてくれ」と指導者から打坐の最中に依頼があった。で、打座の最中にボリューム調整をした。



安定打坐

安定打坐に入ったら動いてはいけない。また何も動かしてはいけない。
安定打坐が始まったら、今回はこれで最後までいくという覚悟が必要です。
しかしその覚悟が無い人がままいる。
最中に動いて小声で人に話しかけたり、紙をめくったりする人がいる。
それがどれほど騒音になり空気や気を乱すか分かっていない。
(紙をめくる音が瞑想状態ではどれほどの騒音になるか理解していない。)
安定打坐というものが分かっていない証拠ですね。
身も心もを委ねて動かない、その時間にすべてを託する覚悟が必要ですね。
瞑想は死の予行演習でもある。命との真剣勝負である。
自分でゆっくりと心臓の鼓動を静止に向かって遅くしていく行為でもある。
そこが分からないとな~?だから安定打坐を指導する時は、準備万端で真剣を振りかざす感じでやらなくてはならない。

血流の音が聞こえる状態は、安定打坐をするつもりなく自然に安定打坐の状態になっている時ですね。すなわち安定打坐をするという意識も無く安定打坐になっている時ですね。「安定打坐をしないで安定打坐をしろっ!」なんていうことは教えられないよね。ブザーの音もそうなんですよね。「聞く気もなく聞こえていたものが、パッと消えた時の静寂を味わえ!」なんてことも教えられないよね。
でもそれが本質。次善の策としてやむなく、「ブザーの音に意識を集中しろ!」と教えることになる。





血流の音

ブナなどの木に耳を当てると水を吸い上げている音が聞こえます。
森や公園で心静かに瞑想していると蟻の足音が聞こえてきます。
昨日、瞑想するつもりもなく、結果として半瞑想状態で目を開けて椅子に座っているとシャー、シャー、シャーという規則正しい音が聞こえてきました。
「何の音だろう?」とさらに耳を澄ませたが良く分からない。さらに音を観察していると耳の内側の奥から聞こえてきているのが分かりました。
心臓が血液を押し出して血管に流れる音でした。
こういう感覚の音は始めてかも知れない?
天風先生も血液が血管の中を流れる音が聞こえると言っていたそうです。
まあ、瞑想をしない普通の人は、「血流の音や蟻の歩く足音なんか人間の耳で聞こえるはずがない!」と叫ぶことでしょうが。
蟻の足音も聞こうとすると聞こえないものなので、聞こうとして聞こえる音は大したことが無いということですね。思考もそういうことですね。
あうだこうだと考える思考は大したこと無いということですね。
思考の中で一番くだらないのは、誰がどうしたこうした、あの人はこうだあうだという他人に対するマイナス感情と思考ですね。思考エネルギーの無駄遣いですね。「人の悪口は女の生きがい」と言った人がいますが・・・・。


安定打坐用音源

久しぶりに安定打坐用音源を編集しました。夏期修練会で夜の時間に内輪にお披露目出来る時間があるかな?昼間はもちろん出来ないけど。
一度作っても細かい修正のためにいつも何度も作り直しが必要になるな。
安定打坐用音楽はあくまでも初心者用で熟達したら、何も無くても、いつでも、どこでもということですね。山田先生の方法を基本にして、そのバージョン・アップしているということですね。
その音をiPhoneに入れて電車の中で聴いてみたけどまったくダメだったね。
聞こえなかった。電車の中では電車の音を利用した方が良いな。



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