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新発見!

クソバカとクンバハカは字が似ている!新発見!はははは!
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眉上法

山田先生から教わった眉上げ法、最近になってやっと分かった。もちろん今までも教わったとおりに時々していたが、その意味は4次元空間に入る(無念無想になる)ことがほぼ自在に出来るようになって、それをやってみて今までと全然違う感覚になった。「なるほど、こういうことだったのか!」と分かった。
何でもその時に教わった通りにしても、それなりに何かの違いを掴めたつもりになるのだけれど本質の会得になっていないのでいずれ止めてしまうことになる。
眉上げ法は4次元空間に入るブースターだな。

クンバハカ3

今日の日曜行修会でも富士山参加組のクンバハカが維持されているかどうか?興味があって観察してみました。みんな、元に戻ってクンバハカが抜けていました。2週間は維持できなかったようですね。それは予測通りでもありましたが、自分で認識できないで自然に成っていたものは自然に消える。神社の御神輿を担ぐ人と同じですね。それにしても先週はビックリした。
私にとってはこの一週間、クンバハカを考える上で大きな収穫でした。
本当のクンバハカになるには、肩の力を抜いて臍下丹田に気を込めて肛門を締め上げる、という動作よりクンバハカになっているイメージを持つ方がより本物に近いと私は言ってきているのですが、イメージを持つことが如何に重要かを再確認させて貰いました。思考よりイメージですね。
人間の価値は、その人が何をいつも心の中でイメージしているかですね。
人間は自分を見ることが出来ないので、他の人を見て分かる訳ですね。そして良いことはそれを自分に適応するのが良いということですね。
富士山を心に強く描けば自分の身体もそれに相似形になろうと対応する。
人は自分の発する言葉の主語や語尾を認識できないというのも同じですね。
言葉を発する時に頭の中にイメージする映像が自分の潜在意識にダイレクトに入って来るということですね。
例えば、「私はあの人、嫌いじゃないよ」と言えば、「嫌い」というイメージが入って来る。「あの人」も「ないよ」も入ってこない。「私は私が嫌い」というイメージに潜在意識の中で置き換わる。逆に、「私はあの人、好きじゃない」と言えば、「好き」というイメージが入って来る。だから出来た人というのは、肯定語を使って語尾で否定するという表現が多いですね。
「私、この味、嫌い!」というのと、「私、この味、好きじゃないな~」というのでは聞く方のイメージはずいぶん違って来るよね。う~ん、言葉遣いの良くない私がこんなことを言っています。なんという、自己矛盾?おのれ、知らず?気を許すと、ついつい言葉のキャッチボールを楽しむために言葉いじめになってしまう?



あっても無い?

安定は意識を4次元の世界に入れることですね。4次元には言葉はありません。言葉無き世界ですね。普通の瞑想とか坐禅は3次元と4次元の界(さかい)ですね。個人差が大きいので安定打坐という名前のものをしていても瞑想の段階の人は多いですね。瞑想や坐禅をしていても壁を突き抜けて4次元に入る人もいます。これも下から上は見えませんので、経験(会得)しないと意味が分からない。4次元の世界に入ると3次元の肉体は意識や認識の上ではありません。あっても無いのです。輪廻転生もそんなものかも知れませんね。あっても無い。
2次元の人は3次元が見えないし認識できない、3次元の人は4次元が見えないし理解できないので、これは多くの人にとって難しい観念かも知れないですね。


クンバハカ2

今朝の日曜行修会室外行修で前に立っているリーダー達を見ると、肩の力が抜けて臍下丹田に気が籠もって肛門が締まっていた。「うん?先週の富士山行修会で誰がクンバハカを教えたんだ?それにしても一回であれだけのクンバハカをみんなに身に付けさせられるのは大したもんだな!みんなの肩の力を抜かせるのは大したもんだ!レベルの深さは別にして方法論として負けたな?」と思ってリーダー達を観察していた。
で、会館に帰る途中にリーダーの一人を掴まえて聞いてみた。
「富士山行修会で誰がクンバハカを教えたの?」と。
答えは特に特別なことは何もなかった。「う~ん、そうなんだ?・・」と、
そしてそんな質問をした上記の理由を説明した。
「本当のクンバハカを経験すると肉眼で見えないものが心眼で見えるようになるから私の目は誤魔化せないから」と言ったら、「そう思っている間は幸せですよ」と皮肉の言葉が返ってきて私の言葉をその人は信用していなかった。
ははははは、まあ、それで良いのです。人が私を理解する必要は何もない。
人間、自然と一体になると自然クンバハカになるので、富士山の裾野での自然と一体になってその余韻がみんなの身体に残っているのかも知れないな?」と私は答えた。さらに、「祭りの御神輿担ぎなんかで神社の神様が入った時にも何も知らないでも人は自然クンバハカになるので富士山の神様がみんなに入ったのかな?」とも追加して言った。
う~ん、そうだとすると、私が神様に勝てないのは当然だな。
先週のその行修会に参加した人全員が室内行修の時に前に出て感想を述べたけれど、みんな同じようにそれなりに自然クンバハカ態勢になっていた。
今までの結果と全然違っていた。10回目の富士山行修会で富士山からのプレゼントだったのかな?富士山の力は大したもんだな。霊峰富士と呼ばれる所以は見た目の美しさだけでなく、そういうところなんだな。日本は神の国だと更に確信したな。そういうことを見て分かる人は他にいるのかな?

う~ん、ひょっとしたら仮説だけれど、目の前の大きな富士山の映像が頭の中にバシッ!と入ったら、富士山の形(下がどっしりとして上部はなで肩)に身体が反応して相似形になろうとしてクンバハカになるのかも知れない?おそらく今までで最高の富士山の姿をみんな脳裏に焼き付けているから、みんな同じ態勢になる?私の目で見て、みんな突然の出来過ぎの態勢になっていたもんな?





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