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すべては逆

「クンバハカとは、肩の力を抜いて臍下丹田に気を込めて、肛門を締め上げる体勢」と天風会では教えています。実際は、クンバハカになると肩の力がストンと抜けて、臍下丹田に気が充満してきて、肛門が締め上がってくる、ものなんですね。そうして霊体になる。会の教えのようにクンバハカをしていると霊体にならない。でもそれ以外に教えようが無い。統一合気道ではちょっと違う教え方をしているようだが。
「する」から「なる」を会得するのに10年以上はかかる。でも会の教えのクンバハカはそれはそれで価値がある。その道を通らないと、”なる”にならない。
アサナ法もそうですね。「クンバハカをして膝を曲げて手を伸ばして」と教わります。しかし本当は、手を伸ばして膝を曲げて身体を動かして体勢を調整して肛門が締め上がってくる姿勢を捜して、その姿勢が見つかったら、その姿勢を維持するものだと思いますね。それでその姿勢が長続きをする。その方法を始めるのに、”なるクンバハカ”が多少分かっていないと出来ないわけだから、やはり10年はかかる。
天風会の教えは、小さな、”出来る”、”出来る”を積み重ねて行く方式だから最初に難しいことは教えられない。「私にはそんなことは分からない。会得できない。私には無理。」では意味が無い。現状でも、「もっとかみ砕いて教えてくれないと私には分からない」という人も結構います。
具体例に則して、かみ砕いて説明しないと身に付かない。また逆に、ヨガなどいろいろを深く勉強している人には物足りないので辞めていく。それで会員数が増えない。何事もなかなか難しいね。今の時代、10年かかることを5年ぐらいで出来るようにならないとと思うのだが。現状の教えは正しいのだが、さらに分解、再統合というのを具体的に分かりやすくしないといけないんだな。
それにしても4日間、5日間、昔は2週間の夏期修練会というのは本当によく考えられたシステムだと思いますね。学ぶ方は、「こんなものか?」と疑問無く受けるけど、最初にいろんな要素を体系化したのは凄いと思うな。瞑想なら瞑想だけ、呼吸法なら呼吸法だけ、真理の講義なら講義だけというところはあるけどね。夏期修練会は毎年、同じ事をするんだけどね。
私、今年24回目?私が参加するのは知識の問題で無くて細胞の問題なんですよね。頭が参加するので無くて、細胞が参加する。細胞が喜ぶ。本当は、歌や体操、運動は昔から嫌い!体育と音楽の時間が一番嫌いだった。
呼吸操練、統一式運動法、積極体操に特訓、はあ~?その私がこの歳になってもそんなのに毎回参加しているのだから人間の運命とは分からないものだ。
ちなみに香里は歌の時間が他の修練会に比べて一番多い。
私にとっては、「あ~あ」なんだけど、本当はね。





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本心煥発

天風教義では、一心、無心、本心煥発、神人冥合というような段階を進みます。私は神人冥合にはまだ達していない。本心煥発を教えてくれる先生はもういない。当然、神人冥合を語る先生もいない。
禅でも無心の次に無念無想があります。その次が悟りなのかな?
チベット仏教の瞑想会にこの5月の連休の終わりに参加したが、まあ、ほぼ坐禅と同じだった。しかしその坐禅指導の仏僧は言っていた。
「知恵を得る瞑想は別にある」と。安定(あんじょう)のことですよね、きっと。
今年、無念無想に数秒で入るこつを掴んだ。歩きながら無念無想の世界にスーッと自分を入れたら、本心煥発と同じ細胞感覚だった。
本心煥発と無念無想では説明も入り方も全然違うけれど、両方とも無心の先にあるものなので、本質は同じものなんですね。
本心煥発なんか、かつて書かれている説明を読んでも意味が分からなかった。
スイカを見ても味が分からないのと同じですね。スイカをたくさん食べてからスイカの外見で味の善し悪しが分かるようになる。スイカを食べないでスイカの論文を読んでもチンプンカンプン。
「せっかく天風会に入って、本心煥発を会得しないで辞めるのは勿体ない。」と山田先生は言っていたけど、その通りだと思いますね。
本心煥発を学ぶには自在に無心が取れるようになっていないと出来ないので普通は5年はかかると思うな。そしてそれは教わらないと出来ないとも思うな。
まあ、病気を治す程度、元気になる程度の目標ならそんなことまで考える必要は無いけど。頭では知らないでも天風会が教える教義を実践していたら細胞が健康に導いてくれる。
実我の世界を細胞感覚で気づいたら足が抜けられなくなる?
天風会の教えは天風教義の入り口であって全体ではないですね。入り口だけでいろいろあって面倒くさいけど。最後は神人冥合のひとつだけなんだろうな~?

天風教義で一番難しいのは、意外ですが、観念要素の更改ですね。
観念要素の更改が出来ないと本心煥発は出来ない(と言われた)。
マイナス思考する自分の思考や心の元の因に気づいて、それを更改しないといけない。ひとつひとつ解きほぐして、真理に沿った積極心に置き換えないといけないが、ほとんどの人が自分の心や思考は正しいと思っているので難しい。
多くの人は心を変えられないで辞めていく。心の更改が一番大事なのに。
生まれ育ちによって形作られてきた心や思考を、それらから脱却して本来の自分を自ら作るのが観念要素の更改でもありますね。
問題が起きた時に、生まれ育ちで出来た心に戻ってしまうというのから越えるのはなかなか難しい。何も無い時には、まあ、積極でいられるけど。
楽観主義の人は何があっても楽観主義で考え、悲観主義の人は何に対しても悲観主義で考える。これはこうだから楽観思考が出来、これはこうだから悲観的になるというようにはならないね。
そのように人の思考はワンパターン。それは観念要素が固化しているから。
自分は宇宙霊と一体である!というところまで観念要素の更改が出来たら卒業なんだろうな。疑問の無い腹の底からの信念だな。



香里夏期特別研修会(夏期修練会)

聞くところによると参加人数が少ないらしい。今回は別場所(森の中の松下の研修所)で泊まり形式だから、今までの通いでしか参加できない人は参加できないのはあるだろうな。
それと天風会員の中に香里のイメージが無いんだよね。東京や多武峰などイメージのあるところに人は集まるから。
豆腐で例えて言えば、東京や多武峰はスーパーでいろんな種類が明るいライトで照らされているパック入りの豆腐だな。
香里は、おっちゃん、おばちゃんが手作りで作っている豆腐屋さんの豆腐だな。
多くの人はスーパーで豆腐を買うよね。味の違いを知っている人は豆腐屋さんの豆腐を買うけど少数派だな。それと同じだな。
別の言い方をすると、東京は小学校のコンクリート造りの建物の本校だな。
香里は木造造りの分校だな。分校の方が味わいはあるけど、本校に通っている生徒から見ると分校なんて行きたくない。華やかな方に行きたい。友達多いし。
そんな感じかな?
私なんかは小学校分校生活1年だけど、後の本校5年間より分校生活1年間の方が思い出が多い。本当は分校生活の方が楽しいけど、知らない人はそれがイメージ出来ない。
天風教義をまず学ぶには、多武峰(山の中のホテル泊まり形式)が一番、東京は二番(通い形式)だと思うな。今回の東京は5日間で真理冥想も本来の形式に近いから初心者には良いかも?初心者にとって5日間は価値がある。但し、お盆は多くの主婦にとっては参加できないけど。
既に知っている教義を自分の中で深く味わうには香里だな。呼吸操練は特にそうだな。
私は今年も香里(研修場所は篠山)です。

分解と再統合

33年やっている英語サークルに、「見学させてください。」と初老?の女性が英会話を勉強したいとやって来た。砂糖と塩と油脂の害についてとそれらの製造企業の汚さを書いている本を四月から読み始めいている。まだ序文の段階。
「ここの英語は難しいですよ~!リーディングの日は予め何時間も予習しないとサッパリ分かりませんから。予習してもよく分からない。」と話して座って貰った。
見学に新しい人が来ても大抵は難しすぎて二度と来ない。「私には難しすぎるので」と言って途中で帰る人もいる。
昨日はリーディングの日だったので、最初に私が一節を訳した。そしたら彼女は話し始めた。「そこは重要さと訳するので無く、この文章の中では技術用語として使っているから有意という意味だと思います。云々」
聞いてみると30年前に外国の製薬会社で技術翻訳をしていたとか。ニューヨークにも一年住んでいたとか。で、彼女の解釈を聞いていたら、「う~ん、凄い!」という感覚で、文法というものを始めて教わった気がした。もちろん内容は学校で習った文法なんだけど、「なるほどな~!そういう解釈か!」と納得した。
「外人は頭から聞いて、読んで理解するのだから、頭から解釈すれば良い。文法なんか気にしない!」と私は思ってきた。学校時代の文法なんかは、ほぼ忘れた。大学で学んだ英語なんか何も覚えていない。いい加減で単位は取れた。
英語の文章の文法的分解と再統合というものは、実務において最初に学ぶ先生の教え方に大きく影響を受けると思ったな。
T大法学部卒の人も、昨日はタジタジだったな。
その女性もきっとT大か、それに近い大学卒なんじゃないだろうか?
彼女曰く、翻訳は文法50%と知識に裏付けされた想像力50%と言っていた。
う~ん、昨日は始めて英語の読み方を学んだような?結構ショックを受けたな。
何となく、鞭打たれるような厳しさがあったな。でもそういう厳しさが無いと身に付かないとも思ったな。

要するに、英語だけで無く、天風教義も明確に(そういう世界の方程式に沿って)分解して再統合しないと何十年やっても身に付き難いと思ったな。
天風会では教義を個別に理解できるように、さらにかみ砕いて分解していない。どこかに書いていることを読んでいるだけに近いな。
まあ、会得できないと分解できない面はあるな。しかし、分解されたものを論理的に教わらないと会得には時間がかかるし、学びに個人差が大きいな。
きちんと分解して統合できる先生に出会って学ばないと何事もダラダラと時間が過ぎることになるな。そういう意味では山田先生に何度も直接に学んだことはギリギリ、ラッキーだったと思う。先生は毎回、半分以上は同じ話をしていたけれど、厭きずに学べたことは本当に有り難い。同じ話を何回も聞く方も辛かったけど、同じ事を繰り返して話す方はもっと辛かっただろうな?と思いますね。
耳にたこが出来るぐらい同じ事を聞いて始めて少し身に付くんだろうな?
お金が無くても、仕事が忙しくても、何をおいても、「仕事は後で取り返しが付くけど、学びはその時に学んでおかないと取り返しが付かない」と、春、秋、休まずに芦屋に通った。その以前に東京に来て貰って特訓もして貰った。
あの二日間の特訓で目が開いたな。目から鱗が落ちるというのを始めて経験した感動があったな。
山田先生の教えもきちんと分解されていたと思うな。山田先生が教義を会得していたから出来たことだと思うな。分解されたものを会得するには、基礎が出来ていないとダメな面はあると思うな。その基礎は天風会で5年は学ぶものだな。





無念無想

私が見つけた方法で無念無想に入ると、山田先生から教わった方法で本心煥発した状態と細胞感覚が同じになるんですよね。きっとそれらは同じ事なんだろうな~?無心の段階ではそういう感覚にはならないね。



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