天風教義では、一心、無心、本心煥発、神人冥合というような段階を進みます。私は神人冥合にはまだ達していない。本心煥発を教えてくれる先生はもういない。当然、神人冥合を語る先生もいない。
禅でも無心の次に無念無想があります。その次が悟りなのかな?
チベット仏教の瞑想会にこの5月の連休の終わりに参加したが、まあ、ほぼ坐禅と同じだった。しかしその坐禅指導の仏僧は言っていた。
「知恵を得る瞑想は別にある」と。安定(あんじょう)のことですよね、きっと。
今年、無念無想に数秒で入るこつを掴んだ。歩きながら無念無想の世界にスーッと自分を入れたら、本心煥発と同じ細胞感覚だった。
本心煥発と無念無想では説明も入り方も全然違うけれど、両方とも無心の先にあるものなので、本質は同じものなんですね。
本心煥発なんか、かつて書かれている説明を読んでも意味が分からなかった。
スイカを見ても味が分からないのと同じですね。スイカをたくさん食べてからスイカの外見で味の善し悪しが分かるようになる。スイカを食べないでスイカの論文を読んでもチンプンカンプン。
「せっかく天風会に入って、本心煥発を会得しないで辞めるのは勿体ない。」と山田先生は言っていたけど、その通りだと思いますね。
本心煥発を学ぶには自在に無心が取れるようになっていないと出来ないので普通は5年はかかると思うな。そしてそれは教わらないと出来ないとも思うな。
まあ、病気を治す程度、元気になる程度の目標ならそんなことまで考える必要は無いけど。頭では知らないでも天風会が教える教義を実践していたら細胞が健康に導いてくれる。
実我の世界を細胞感覚で気づいたら足が抜けられなくなる?
天風会の教えは天風教義の入り口であって全体ではないですね。入り口だけでいろいろあって面倒くさいけど。最後は神人冥合のひとつだけなんだろうな~?
天風教義で一番難しいのは、意外ですが、観念要素の更改ですね。
観念要素の更改が出来ないと本心煥発は出来ない(と言われた)。
マイナス思考する自分の思考や心の元の因に気づいて、それを更改しないといけない。ひとつひとつ解きほぐして、真理に沿った積極心に置き換えないといけないが、ほとんどの人が自分の心や思考は正しいと思っているので難しい。
多くの人は心を変えられないで辞めていく。心の更改が一番大事なのに。
生まれ育ちによって形作られてきた心や思考を、それらから脱却して本来の自分を自ら作るのが観念要素の更改でもありますね。
問題が起きた時に、生まれ育ちで出来た心に戻ってしまうというのから越えるのはなかなか難しい。何も無い時には、まあ、積極でいられるけど。
楽観主義の人は何があっても楽観主義で考え、悲観主義の人は何に対しても悲観主義で考える。これはこうだから楽観思考が出来、これはこうだから悲観的になるというようにはならないね。
そのように人の思考はワンパターン。それは観念要素が固化しているから。
自分は宇宙霊と一体である!というところまで観念要素の更改が出来たら卒業なんだろうな。疑問の無い腹の底からの信念だな。
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