山田先生の文章をちょっと読み返すと、
「安定打座は、只管打坐より即身成仏に近い」と書いていた。
そうなんだよね~!なかなかこれが分かるまでに時間がかかる。
24年かかった。12年でたどり着くべきではあると思うな。
無心から無念無想にたどり着かないと分からないかもな~?
今までも安定打座や瞑想は死の予行演習とは言ってきたし、年に一回か二回ぐらいは静かに徐々に心臓が止まっていくような静止感というのはあったけどね。即身成仏とは考えなかったな。学んだはずなのにその言葉は覚えていなかった。身に付いていないことは聞いても読んでも頭に残らないんだな。
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