鎮魂の作法をある神道で教わったことがあるけど、他の国では鎮魂というのはあるのかな~?シャーマニズムでは霊を呼ぶというのはあるけどね。
キリスト教では祈りというがあるけど、それ以外の鎮魂の作法というのはあるのだろうか?私は知らないな。
日本人は、昔から、おそらく遙か昔から鎮魂というのがあるということは、恨みを持って死んだら魂が暴れるということを日本人は感覚的に知っているんだよね。
見える人には見えるのかも知れない。実際、見えるらしいけど。
この世は仮の世。仮の世界に魂の階段をひとつ上がるために生まれている。
魂が階段を上がれなかった時に魂は肉体を失ってから足掻くのかな?
千年、二千年、場合によったらそれより遙かに昔から伝わっている古神道の作法(所作)というのは現代に生きる普通の我々には理解しがたいけど、見える世界とは別の世界がきちんとあるということを日本民族は遺伝子的に結構知っているのかも?それはモンゴルのシャーマニズムもそうだろうし、アマゾンの原住民もそうなんだろうな。
日本神道はそういうシャーマニズムが洗練化、成熟化しているものなのかな?神道の世界も不思議な世界だけど、それが本当の世界だと神官達は思っているのかも知れない。
田舎の神主に酒を飲みながら聞いたことがあるけど、そういうのほとんど感じないと言っていたな。はははは!巫女をしている女性に感じる人がままいるとも言っていたな。
仏教の世界もまた同じだな。見えない本当の世界から、見える仮の世の生き方を説いているのが仏教か?出家するということは本来、肉体を持って生きながら、あの世からの目でこの世を見ることだと思うな。それで仮の世の生き方が見えてくる?
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