私はダライ・ラマのファンですね。尊敬に値します。
昨日、電車の中で人を観察していました。ほんとに多くの若い人がiPhoneやスマートフォンを持っていますね。私も持ちたいとは思いますが、そこまで必要なのだろうか?とは言いながら、私も初期のiPadと最新のタブレットPCを持っています。それにしても普通の携帯でなぜ満足しないのだろうか?普通の携帯でも充分のはずなのですが。使うと便利だけど無くても良いもの?私もiPhoneを持とうかとずいぶん検討したけど月々の費用がネックでしたね。
スマートフォン依存症を若者に蔓延させている。いえ、蔓延させられている。誰かの策略を感じますね。
一人月一万円近く(7~8千円)を払っています。家族で持つと通信費が何万円にもなります。これは第二の税金ですね。全部合わせると大変な金額です。それで各通信会社は一兆円近くの利益を出しています。誰も変だと思わないみたいですね。物を輸出しないで電波という空気を売って国内だけで3兆円の利益を得ている。
で、考えました。昔、奴隷というのは、綿花畑で綿を摘み取る仕事など単純作業の生産業務に携わっていました。生産のための奴隷ですね。今は、消費のための奴隷なんですね。今の奴隷の役割は何も考えずに欲しいという気持ちをマスコミによって操作され、三兆円の利益を資本家に得させているのです。消費奴隷なんですね。生産奴隷から、メディアによる洗脳によって消費奴隷にさせられたのです。いえいえ、今は情報奴隷にさせられているのです。
以前読んだ本に次のように書かれていました。
リンカーンは本質的奴隷解放論者ではないと。アメリカの南部では綿花畑などのように農業が主体でした。農作業には奴隷というシステムがよく機能していました。
北部では工場生産による産業が発達してきました。そこに奴隷を使うと生産性が上がらないことが分かりました。効率も上がらないし、不良品もたくさん出る。奴隷のために家も必要だし、食料も買い与えないといけない。意外にコストがかかる。そこで奴隷を解放して給料制にしました。そうするとその従業員達は工場で生産するものの消費者にもなりました。で、従業員に払った給料は資本家に戻ってくる。奴隷は給料制労働者になることで工場で生産されるものの消費者にもなったわけです。で、リンカーンは奴隷解放を訴えることにしたと。だから、リンカーンの奴隷解放は工業化の経済的合理性のためであってヒューマニズムとか人間性の目覚めではないと。もちろんそんなことは口に出来ないから、言葉ではヒューマニズムと理想論を述べる。
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