青森にキリストの墓というのがあります。その解説には諸説あります。その近くに大石神ピラミッドというのと、弥栄神社というのがあり、三角形を作っています。直角ではなく100度です。それらがある村は戸来(へらい)と言います。住所は新郷村だそうですが。
キリストの墓というのは、まあ、難破してたどり着いて死んだキリスト教徒のロシア人か西洋人の墓だろうと軽く考えていました。死ぬときに、「おー、キリスト~」と叫んだので、この人の名前は、きっとキリストというのに違いないと住民が判断して墓を作って上げたぐらいだと。
戸来村、ヘブライという説もあります。日本人には「へらい」と聞こえたのかも?
弥栄というのも「ヤハウェイ」が「やえい」に聞こえたのかも?ウォーターがワラに日本人には聞こえるように。
原始キリスト教とユダヤ教はかつては今ほどの違いは無かったのかも?ユダヤ教キリスト派ぐらいのイメージで。
秦氏は日本列島に渡来した技術者集団だったと言われています。当然、測量技術を持っていたと考えるのは自然です。キリストの墓も誰かの骨が埋まっているのでなく、渡来人がキリストの墓を作って遙かなる民族の故郷を思ってお祈りしたのかも知れませんね。または今で言うラビの墓かも知れませんね。
彼らが日本に最初にやってきたのが西暦100年から200年、大量に入ってきたのが西暦400年代と考えると、意外に民族移動は早いですね。彼らが一戸、二戸、三戸と順に住み着いたのかも?それも適当に住む場所を決めたのではなくて計算した場所で。
まあ、こういうことは早い者勝ちの妄想ですが。でも最近分かってきた史実と矛盾しないかも~?
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