今日、人に見せて貰った天風会の復刻版の本に、天風先生が昭和6年11月に小豆島で講演をして、それから数年講演が続いたとあった!「え~っ!」だな。
私の祖父も聞いたのだろうか?もうその頃の話を聞いた人は生きていない。
今年は昭和6年から数えて87年目。昭和16年から77年目、私が生まれて67年目。私が天風会に入って27年目。7づくしだな。10月の小豆島勉強会は宿命か?「そんなアホな~?」だな。
小豆島出身の偉い人(覚者)が「悟りの書」(結構、難しい)というものを書いているが、それを読んだ時に、「この人、きっと天風先生に会っていたな?」と感じたが、それは当たっていたかも?
島の友人と話したら、当時は醬油産業を中心として今とは比較にならないほど島の景気が一番良い頃でお金をたくさん出せる旦那衆がたくさんいたようだし、
また11月は日本三大渓谷美として有名な寒霞渓の紅葉の季節でもあるので、観光と兼ねて来て貰ったのではないか?とのことです。当時は私の村も醤油産業とそれを運ぶ海運業で景気が良かった。私の先祖は江戸時代の北前船運航という海運業ですね。私の村では最近まで蔵の無い家はほとんど無かった。栄枯盛衰の見本のような村ですね。ちなみに江戸時代中頃までは小豆島は日本有数の塩の産地で、その塩と北前船で島に運んで来た讃岐の小麦、北海道の大豆や昆布を合わせて醤油や佃煮を作るという産業立国ならぬ産業立島だった。
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