小豆島勉強会の約1ケ月前に天風先生が小豆島で昭和6年から数年講演していたという事実を知ったのは何か重いものを感じる。勉強はいい加減に出来ないが、勉強内容より何を食べようか?と食べ物に意識が行く。天風先生も魚が美味しくて何度か行っていたりして?二日目の夜の食事をまだ決めていない。
天風先生が小豆島で数年講演した経緯は、どうやってももう分からないんだろうな~?誰がどのように知ってどうお呼びしたのか?金を出したのは一番大きな醤油会社だろうな?と推測するけど。町史にはそんなのは載らないけど、町長か助役の日誌か、醤油会社の内輪の日誌かに書かれているかも知れないが、昭和6年のそんなもの残っていないだろうな~?
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