人生最後に学びたい、悟りたいと80前の人、過ぎた人が天風会に入って来る。で、学ぶのに良い人がいると言ってそういう人を食事会に連れて来る。そして先生、先生と呼ばれる。「先生と呼ばないで!私は先生でありません!村長さんです。」といつも言うのだが、それでも最近は80代の人に先生と呼ばれることが多くなった。それにしてもどうして人生生き抜いてきた80代の人が60代の人間を先生と呼べるのかな~?困ったもんだ。確かに先生と呼べる程の50代の人に出会いたい気はするな。本来私も教える立場じゃなくて学んでいる最中の未熟な立場だから若い人に先生と呼ばれるのも困るが、人生の先輩の歳上から先生と呼ばれるのはもっと困る。同じ勉強仲間なんだから上下はない。
それに、「そんな年寄りより若い女性を連れてこい!」と言いたいが。天風教義の未来を考えたら40代の人が今以上に感覚的、体感的に教義を会得しないといけないと思う。中途半端な知識や理屈で武装しては天風会の未来はない。
私がいつも言うのは、理屈は2割で良いと。8割は会得のための方法論とたとえ話だと。易しいたとえ話が出来ないと分かっていることにならない。
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