日本は良い国だと思うし、日本人は良い人達だと思うが、平和と安定が続くと、おおらかになると思いきや、1億総神経症になっている。
「それぐらい大目に見てやれよ」とか、「それぐらい許してやれよ」とか「それぐらい見て見ぬ振りをしてやれよ」という感性が日本人から無くなっている。
1円の間違いがあってそれを市民から訴えられてはいけないから、膨大な人件費を使って精査する日本の公務員。
「特別な事情」と書いてあるのを「特別とは何だ?」と国会で追及されてはいけないから、エリート官僚が膨大な時間を使って、その言葉を削除したら、文章の改竄だと膨大な国会費用(税金)を使って責任を追及された。
8億円の疑問に対して百億円の費用(税金)を使った国会野党。それに疑問を持たないメディアと日本人。「それで8億円がうやむやで良いのか?」とメディアとおばちゃん達は言う。「それは警察と検察に任せとけば良い問題。検察や裁判所が答えを出せばいいだけ。国会は経済、外交、防衛を議論する所。」と私は言うのだが、聞く側に納得する顔は無い。
一人を助けるために百人の命が犠牲になるのは是か非か?ですね。それは時に必要な時もあるけど、費用対効果費を日本人は考えなさ過ぎるよね。
それと裏腹に、きっと元は同じこだわりの精神なのだろうが、メーカーの製造現場はコストを考え過ぎる。製造現場では乾いたタオルから水を搾るという0.何円のコストダウンを計り、公務員は本質を見ることなく書類検査のために何十万円という無駄を使い、国会は何百億の浪費をする。それが日本は生産性が低いと言われる所以ですね。
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