信じるべきことと、疑うべきことと、信じた方が良いことと、疑った方が良いこととの区別が出来ない人が多いんだな。信じないと、「幸せ感」は存在しないな。
その区別の出来ない人は権威をより所にするんだろうな?NHKとか朝日とか警察発表とか東大とか医者とかをね。まあ、そういう権威を信じている人には迷いは無いよね。
幼稚園児レベルの科学的データに基づいて信じる人は多いのかも知れないけれど、納得することと幸せ感は違うな。理屈で納得した時には、「幸せ感」というのは既に遠くに過ぎ去っている。
科学を分かっていない人が科学的云々を口にするのは笑止ですね。科学で分かっていることはほとんどありません。現象の過程を多少分析的に説明しているだけです。科学で現象を突き詰めていくと、「分からない」という答えしかない。うん?柳生但馬の守の言葉と一緒になった?
朝日新聞を取っている人は朝日の論調を信じるようになるんだな、そして朝日に何が起こっているかつんぼ桟敷に置かれることになる。朝日新聞を取っている人で朝日が2万人によって訴訟が起こされていることって知っているのかな~?朝日は自分が2万人によって訴えられていることは紙上に書かないよね。朝日を信じる人間は社会で何が起こっているかメクラになっているんだな。まあ、朝日問題はちょうど良い一例であって何事もそういうことですよね。学校教育ももちろんそうですね。学校で習った歴史や栄養学を信じている人は多い。
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