大阪都構想を反対していた知識人もいる訳ですけど、列車の設計には、機関車を設計する人と客車の内装などを設計する人との役割分担が必要な訳です。
一人で機関車も客車も設計出来ません。それなのに機関車の設計を考えている人に、客車の座席はどうするんだ?椅子の色は?などを聞くから、「あの人の列車の設計はなっていない!」と批判する訳ですね。
全体の方向が決まれば細かい所は識者と官僚が会議して決めれば良いことですね。大きな方向を指示して貰えれば、細かい所を矛盾無く埋めていくのが官僚の能力でもあるし、また役割ですね。
多くの人は細かいことばかりに気が行って、大きなことを見失ったのが大阪都構想が敗北した理由でしょうね。ダメにした主役は年長者と公務員ですね。
橋下市長は、命がけで全エネルギーを注ぎ込んだ結果なので、「あうすれば良かった、こうすれば良かったかも?」なんていう後悔の思考は微塵も無いのでしょう。全力を出し切ったから、サバサバしている。それは全力を出し切った経験のある人だけに分かるサバサバ感だと思いますね。
評論家なんて自分の意見に命をかけていないもんな。評論家の意見より世の中を良くしようと実際に命をかけて行動している人を私は信じるな。
だいたいにおいて、批判する人より批判される人の方が立派だな。
批判される人は何かをしているから批判されるわけで、批判する人は何もしていないことが多い。何もしない人間より何かをする人間の方が立派ですね。
何もしていない人は、「それじゃ、犯罪をする人は犯罪をしない人より立派なのか?」と屁理屈を言ってくるな。円高の時、円高の弊害を心配していた人は、円安になったら今度は円安の弊害に文句を言っている。批判する人はいつでも何でも批判している。そういう人は大抵、実務をやったことのない人ですね。学者の意見は参考に聞かないといけないけど、学者の意見に従ったら経済も国も運命を間違うね。学者はちまちましたあら探しは得意だけど、グランドデザインは作れないし理解できないから。似た話しで、医者は病気のことは分かっても健康のことは分からないというのと同じですね。
PR