大学一年の時に、自分の存在証明を考えたが証明出来なかった。
「我、思う、故に我あり」みたいな言葉あるよね。デカルトだったかな?
私はそんな言葉に納得できなかった。植物人間のように、”思う”ことの出来ない人間は存在しないのか?と。幼少期に母親に愛されなかったと思っている人は鬱や引きこもりになりやすい。鬱や引きこもりの人は自分の存在実感が持てていないんですね。母親や家族から愛されている実感のある人は、自分の存在に自信を持っている、自分の存在を感じているんですね。
「自分は存在する。」という実感が親から愛されることで持てるんですね。
理屈でなく、感覚で自分の存在を認識するのが一番大事なのかもね?愛されることはその一つの方法なのかも?それでは、他に方法があるのか?宇宙霊と一体になる神人瞑合もその一つなのかも?とは言っても神人瞑合は難しい。
ずいぶん前に書いたことがあると思うけど、現象世界のこの仮の世と魂の世界の実世界が一致している人が一番幸せだと。この仮の世を仮に生きている人は、どんなに金持ちになっても幸せ感は持てない。自分の存在感が本能的というか本質的に空虚なんですね。人は自分の存在を探し求めている存在と言えるかも知れない?難しい話になったな?
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