多くの既存宗教は他者(他宗教)否定ですが、スポーツの場合、「自分は野球が好きでクラブでは野球部に入っているけれど家に帰ったらサッカーも見ています。」という子供は多いのではないでしょうか?野球部に入っていても遊びでサッカーをすることもある。そういうふうに自分はこれが好きだけれど他のスポーツは否定しない。宗教もそういう感じになれば良いんですよね。仏教だってキリスト教だってイスラム教だって原点を学べば結構面白い。仏教だって、浄土宗、浄土真宗、禅宗、真言宗、それぞれ真理がある。「なるほどなぁ~、この宗派ではこういう見方・考え方で真理に近づくのか」とか「私は何々宗の檀家だけど、どこそこの坊主の話が面白いからちょっと聞きに行こう」とか自由な形で学べば良いのです。理屈で言えば他者肯定ということですね。宗教をスポーツ感覚にすれば良いのです。だからと言っていい加減ではないですね。スポーツ・クラブだってみんな真剣にやっているのだから。みんな宗教以上に真剣にやっているのだから。価値観の平等さということで宗教団体もスポーツを学べば良いのです。それが宗教ルネッサンスですね。もちろん今でも分かっている人は他者=他宗教肯定ですが、「いろんな宗派・宗教に行って学んできなさい」と檀家や信者に言っている坊主や神父は少ない。
キリスト教徒が世界制覇に乗り出さなかった時は、宗教的には結構平和が成り立っていたんですよね。宗教が元で戦争するのは元凶はキリスト教(キリスト本来の教えそのものではない)のせいだな。もちろんイスラムでも戦争はいろいろあるのだけれど理由は宗教では無かった。モンゴル帝国の時代は特に宗教的には平和共存していたらしい。宗教は平和共存出来るのです。
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